研究室の不正:AI刑事が暴く真実 | 40代社畜のマネタイズ戦略

研究室の不正:AI刑事が暴く真実

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まえがき

この物語は、「正しさ」が無言で崩れ落ちていく現実と、それに抗おうとする人々の物語である。舞台は学術の殿堂──大学。そこで起きた接待、恐喝、論文捏造、そして“沈黙”。

情報と制度に翻弄される社会で、何を信じるか。AI刑事K1と香月舞、堀田誠たちの捜査を通して、現代日本が抱える倫理の空洞を、フィクションとして鮮烈に描き出した。

あなたが沈黙を打ち破る側であってくれることを願って。

登場人物紹介

K1:警視庁サイバー対策課所属のAI刑事。圧倒的な情報処理力と冷静な判断力で事件の核心に迫る。

香月舞(かづき まい):元捜査一課の女性刑事。正義感が強く、学生や告発者の心に寄り添いながら事件と向き合う。

堀田誠(ほった まこと):現場叩き上げのベテラン刑事。泥臭くも信頼厚い行動派。

天海俊昭(あまみ としあき・仮名):誠倫大学医学部教授。研究費の私的流用、接待、論文捏造など一連の不正の中心人物。

引山功一(ひきやま こういち・仮名):日化創研代表。最初の告発者であり、被害者でもある。

村上奈々(むらかみ なな・仮名):誠倫大学広報官。内部から声を上げた勇気ある女性。

滝田将仁(たきた まさひと・仮名):文部科学省補佐官。不正助成金配分に関与。

佐伯沙耶(さえき さや・仮名):誠倫大学医学部学生。学生の立場から法廷で証言。

目次

『AI刑事 沈黙の研究室』

まえがき

登場人物紹介

第一章:封じられた報告書

第二章:銀座の影

第三章:録音された怒号

第四章:学内の沈黙

第五章:反証ノート

第六章:偽りの学術

第七章:壊れる支配

第八章:公開の断罪

第九章:正義の再構築

第十章:沈黙の研究室

あとがき

第一章:封じられた報告書

雨上がりの秋空が、新宿霞ヶ丘の空を濡れた銀色に染めていた。

警視庁サイバー対策課。その一角に設けられた分析室には、冷たいLEDの光が白い壁を照らし出していた。

ディスプレイを前に、ひとり静かにキーボードを叩く男──それが、警視庁配属のAI刑事・K1である。

アンドロイドの精密な表情。黒いスーツに包まれた身体は人間と見分けがつかない。

その内蔵システムは、10万件以上の捜査記録と1000万語以上の発話データを学習済み。

彼の横に立つのは、相棒の堀田誠。ベテラン捜査官であり、口は悪いが正義感に厚い。

「K1、来たぞ。妙な内容だ」

堀田が差し出したのは一通のPDFファイル。差出人は民間団体「日化創研」代表・引山功一。


『当会は誠倫大学と共同研究契約を締結しておりましたが、関係教授より研究と無関係な接待・金銭の要求が続き、結果的に1981万円を支出いたしました。録音データ、写真、領収書の提出が可能です。』


「民間が大学と共同研究して、研究費で接待されたって? よくある話じゃねえかと思ったが、こりゃ本物くさいぞ」

K1は目を細めた。

「送付された資料の信頼性は高い。音声分析結果から見て、相手は医学系研究者。心理的優位を背景に圧力をかけている形跡がある」

堀田は鼻を鳴らす。

「つまり……エリートのやり口ってわけだな」

その瞬間、部屋の扉が開いた。

すらりとした女性刑事が歩み寄る。香月舞、30代前半、元捜査一課。捜査現場に復帰したばかりの実力派だ。

「聞いたわよ。大学教授が銀座でワインと風俗接待? どこの政界スキャンダルかと思ったわ」

「現場、行ってみるか」

K1はすでに誠倫大学の医科学研究所の平面図を呼び出していた。


誠倫大学──東京文京区に位置する、日本を代表する旧帝大のひとつ。その医学部研究棟は、近年企業連携の拠点となっていた。

午後2時、K1・堀田・香月は大学構内に入った。

目に映るのは、古びた赤煉瓦とガラス張りの近代棟が交錯する風景。学生たちはスマホを片手に素通りするが、教授陣の表情はどこか硬い。

案内されたのは共同研究推進室。対応したのは大学広報室の村上奈々。30代半ば、冷静沈着な印象の女性だった。

「調査は大学のコンプライアンス委員会が行っております。外部からの調査協力には原則応じておりません」

「大学の名誉を守りたいのは理解しますが、これは刑事事件の可能性もある。ご協力を」

K1の言葉に、村上の眉がわずかに動く。

「……裏で教授に会った方が早いかもしれません」

彼女は囁くように名刺を差し出した。その名は──天海俊昭。

誠倫大学医学部皮膚科学講座・教授。


夕刻、天海教授との面会が実現した。場所は大学近くのレストラン。教授指定の個室席。

「お忙しいところ、恐縮です。研究の件でしたら、大学を通して……」

K1は静かに名刺を置く。

「“研究の件”ではありません。これは、“刑事の件”です」

堀田が一歩前へ出る。

「教授、アンタが民間研究団体の金でワイン空けて、接待受けて、現金1500万要求したって話がある。心当たりは?」

天海の手が一瞬止まった。だがすぐに笑みを浮かべる。

「証拠があるなら、お持ちになればよろしい」

K1はスマートグラスに接続し、音声ファイルを再生する。

──『殺すぞ』『1500万用意しろ』

静寂が落ちた。

香月が凍るような声で言った。

「あなたの声です。鑑定済みです」

天海は静かにワインを口に含んだ。

「……交渉の一部だった。それ以上でも以下でもない」

堀田が唸る。

「吐かせるまで、時間の問題だな」

こうして、大学の権威と民間研究の裏側に潜む“研究室の沈黙”が、ゆっくりと解きほぐされていく。

だが、これはほんの序章に過ぎなかった──。

第二章:銀座の影

銀座──そこは、光と影が共存する街だった。

夜の帳が降りる頃、中央通りにはネオンと車のヘッドライトが交錯し、交差点のガラス窓には高級ブティックと人々の虚飾が映っていた。

K1と香月舞は、中央通り沿いのあるクラブビルの前に立っていた。店舗名は「レーヴ」。銀座でも有数の高級クラブだ。

引山功一が提出した資料の中に、このクラブでの領収書が複数あった。接待費は一晩で67万円。ほかに複数の飲食店のレシートが添付されていた。

香月がファー付きのコートを整えながら言った。

「わたし、こういうとこに潜入するの初めてよ。まさかキャバクラ店員のふりをすることになるなんて」

「あなたの演技力なら可能だ。必要なのは観察と記憶、それに冷静な対応だ」

K1はそう言いながら、スマートグラスに音声記録装置と無線通信を同期させた。


クラブ「レーヴ」のVIPラウンジでは、すでに数人の客がシャンパンを開けていた。

そこに現れたのは、元特任准教授の大槻和真(仮名)。香月は笑顔を崩さず、シャンパングラスを差し出す。

「お仕事、お疲れ様です。お好きなお酒は?」

「オーパス・ワンかな。最近は、銀座も景気戻ってきたし。ま、俺は大学関係だけど、企業連中が金出してくれるんだよ」

香月は一瞬、背筋に冷たいものを感じた。

「大学関係の方って、接待も多いんですか?」

「そりゃあな。研究費ってのは、名目さえ作れば何にでも化ける。あとは相手の“忖度”次第だよ」

その瞬間、香月はK1に音声を送信した。

K1はそれをリアルタイムで文字起こしし、表情ひとつ変えずに警視庁サーバーへ転送した。


翌朝、堀田と香月はクラブ従業員の一人、天野莉央(仮名)を非公式に呼び出し事情聴取を行った。彼女は20代後半、落ち着いた雰囲気で証言を始めた。

「お二人とも、まったく財布に手を出さない人たちでした。A教授──あっ、天海っていう教授は、むしろ“払ってもらうのが当然”っていう態度でしたよ」

「酒の種類は?」

「ドンペリのピンク、オーパス・ワン、あとキャビアと生ハムが定番ですね。普通に3時間で100万は超えます」

「女性を紹介されたことは?」

彼女は一瞬、口をつぐみ、そして頷いた。

「あります。わたしじゃなくて、別の女の子が“タイに視察”って連れてかれて……帰ってきてから泣いてた」

「その子の名前は?」

「沙羅(仮名)って子。いまは辞めてます」

香月の拳が、机の下で震えていた。


K1は同時に、天海教授の仮想通貨ウォレットと関連企業への支払い履歴を追っていた。

あるトランザクションログで、不自然な送金パターンを発見した。

「大学法人『誠倫イノベーション』から“個人ウォレット”への1日あたり数十万円規模の資金移動。日付はすべて接待の日と一致」

堀田が机を叩いた。

「やっぱり黒だ。教授どもは、研究の皮をかぶったタカリ屋だ」


その日の午後、香月は引山功一と面会した。彼は深く頭を下げていた。

「ほんとうは、もっと早く誰かに相談すべきだったんです。でも、彼らは“研究を止めるぞ”と……」

「あなたも被害者である一方、贈賄の構図にも立っています。今後、証言が必要になります」

「分かっています。私がこの手で止めるしかなかったんですから」


K1はその夜、復元されたLINEログを眺めていた。

──『先に教授に選ばせてあげる』『1回8万です。月に2回で16万×2人』

K1はつぶやいた。

「感情ではなく、欲望で構成された会話。そこには倫理も、罪悪感もない」

そして、解析ログに新たな人物の名が浮かび上がる。

「文部科学省 参事官補佐 滝田将仁(仮名)」

学問の自由と制度の外で、何かが静かに腐り始めていた。

第三章:録音された怒号

雨が、夜の警視庁庁舎の窓を静かに叩いていた。

サイバー対策課の奥の作戦室では、香月舞がヘッドホンを外し、深く息をついた。

「……これ、完全にアウトですね。脅迫です」

再生されていたのは、引山功一が録音した音声ファイル。そこには、人の尊厳を削るような怒号が確かに刻まれていた。

──「殺すぞ」「1500万だ」「金もってこい」

言葉は切り取られた刃のように鋭く、声は天海教授のものであった。

K1はAI音声分析プログラムにより、音の波形、言語速度、強勢パターンを確定し、同一人物であると断定した。

「相手は怒りを演出している。だが、このレベルの圧力は“演技”の域を超えている。脅迫罪が成立する」

堀田は顎を撫でながら言った。

「追い込まれた“権威”は、ただのヤクザと変わらんな……」


その日の午後、K1と香月は、元准教授・大槻和真(仮名)と非公式に面会していた。

場所は飯田橋の小さな喫茶店。彼の顔には明らかな疲労と後悔が刻まれていた。

「……あの人に逆らえるやつ、大学にはいませんよ。天海先生のひと声で、研究止められるんです」

「録音で“殺すぞ”とまで言っている。あなたは、その場にいたんですね?」

大槻は頷き、カップのコーヒーを見つめながら、ぼそりと答えた。

「言いました。でも“社会的に”って意味だと、フォローしました。自分に言い聞かせるように」

香月の眼差しが鋭くなる。

「あなた自身も、他の出資者に“金を持って来い”と言ったことがありますか?」

「……あります」

その言葉が、静かに喫茶店の空気を変えた。


K1は、文部科学省の記録を調査し、滝田将仁(仮名)補佐官の発言ログと予算承認記録を突き合わせた。

結果、誠倫大学への“補助金優遇措置”が天海教授の口利きで承認されていた可能性が浮上。

「これが事実なら、官製談合に近い構造が存在する」

堀田が低く唸った。

「大学と官僚が繋がって、税金と研究費と女と接待か。腐っとる」


その夜、K1は大学広報官・村上奈々に再び接触。

場所はキャンパス裏のベンチ。風が冷たく、木々がかすかに揺れていた。

「どうして、教職員倫理委員会は何も動かないのですか」

K1の問いに、村上はしばらく黙ったあと、静かに語り始めた。

「教授に刃向かえば、内部評価で“研究不適格”の烙印を押されます。出世も研究費も打ち切られる。皆、知っていても口を閉ざすんです」

香月は尋ねた。

「それでもあなたは、なぜ私たちに協力するんですか?」

村上の目が揺れた。

「私は、10年前に父を研究不正で失いました。そのとき、誰も内部から真実を話してくれなかった。だから、私は止めたいんです」


翌日。K1はついに、誠倫大学と天海教授を刑事事件として正式に立件する準備に入った。

証拠のリストにはこう記されていた。

  • 接待費領収書計1981万円分
  • 録音音声3ファイル(脅迫発言含む)
  • LINEログ全文(風俗店の選定依頼)
  • 大学関係者による証言3件
  • 村上奈々による内部資料提出

K1はファイルを閉じた。

「すべての情報は揃った。次は、“責任”を可視化する番だ」

彼の目に、強い光が灯っていた。

第四章:学内の沈黙

誠倫大学の正門をくぐったとき、香月舞は、街の喧騒が一気に遠のくのを感じた。

秋の陽は柔らかく、煉瓦造りの旧本館が長い影を落としている。だが、その静けさは、どこか不気味なまでに整っていた。

「この空気、何かを隠してる」

香月がつぶやくと、K1がすぐに反応する。

「沈黙は秩序を守る装置にもなるが、犯罪を覆い隠す仕組みにもなる」

大学構内では、学生たちが自習に向かう途中でK1の姿に気づき、視線を投げた。彼の人間離れした動きと佇まいは、どうしても注目を集める。


香月は大学内の匿名掲示板「誠倫Voice」を調査していた。

投稿には、“教授の接待常態化”“研究費名目の謎の送金”“謝金付き論文作成依頼”など、火種になり得る内容が並んでいた。

「これ、全部実名じゃないけど……内部の人間しか知らない情報ばかり」

K1がすかさず、投稿時刻と学内Wi-Fiの接続ログを突合。

「ID:MKT_874。投稿は講義棟2階から。投稿者は女子学生。学部は……医学部4年・佐伯沙耶(仮名)」

香月は、学食に向かう学生の列から佐伯を探し出した。

「佐伯さん。警察です。少し、時間をもらえますか?」


人気のない芝生のベンチに腰を下ろし、佐伯は唇をかみながら話し始めた。

「私、去年の冬、天海先生の研究室で補助してたんです。そしたら……夜の会食に呼ばれて……銀座で会ったクラブで、女の人と教授がすごく親しげで……怖かった」

「そのあと、誰かに話しましたか?」

「無理でした。先輩からも“見たものは忘れろ”って言われて。広報室にも相談したけど“証拠がないと動けません”って……」

香月は静かに言った。

「あなたの証言が、新しい風穴になります」


その夜、村上奈々と香月は大学裏手の喫煙所で再会した。

「学生まで巻き込まれている。学内コンプライアンスは完全に麻痺しています」

村上は灰皿に煙を落としながら、つぶやく。

「副学長も学部長も、みんな天海先生に逆らえない。研究費の分配権があるのは教授だけですから」

「大学は一企業じゃない。公共性の高い研究機関よ」

「でも、“沈黙”がここでは一番の処世術なんです」


K1は大学図書館の地下サーバー室に向かっていた。目的は、大学が管理する過去10年の研究費使用データ。

端末にアクセスし、指定IDで照会。

「天海研究室、年度別外部資金受給状況。企業名義:化粧品開発企業、出資額総額2億3000万円。用途内訳:研究材料費は全体の12%。残りは“諸経費”」

K1は記録の不自然な加工痕を解析し、明確な“改ざん”の痕跡を確認した。

そのとき、モニターに警告が点滅する。

《アクセス者不明のセキュリティ侵入あり》

「誰かが記録を消そうとしている」

K1は素早くログをダウンロードし、警視庁のサーバーへ転送。

画面がブラックアウトした瞬間、背後のドアが音もなく開いた。

振り返ると、そこに立っていたのは──滝田将仁。

文部科学省の補佐官。

「君たち、越えてはいけない一線に足を踏み入れたようだな」

K1の目がわずかに光った。

「我々は事実を回収しているだけだ。あなたの関与を否定する材料があれば、どうぞご提示ください」

滝田は笑みを浮かべたまま立ち去った。

研究という名の装置の中で、沈黙を守る者たちの綻びが、音を立てて崩れ始めていた。

第五章:反証ノート

東京・西荻窪。冬枯れの路地に囲まれた築40年のアパートの一室。

K1と香月舞は、ある人物の訪問を前にドアの前で立ち止まっていた。

その人物──元・誠倫大学研究員、福間達也(仮名)。天海教授の研究室で5年間、最先端の皮膚細胞再生技術に従事していた男だった。

呼び鈴の音に反応して、玄関の内側から物音。扉がわずかに開いた。

「……お話しする理由はありません。もう研究からは身を引きました」

福間は一度はそう言い放ったが、K1が提示した一枚の画像に目を奪われる。

銀座クラブの領収書、その裏に「技術者への礼は不要」と赤字で走り書きされたメモ──天海の筆跡だった。

「……やはり、何も変わってなかったんだな」


彼は部屋にK1たちを通し、古いロッカーの中から厚手のノートを取り出した。

それが“反証ノート”だった。

「天海教授が実験データを都合のいいように書き換えてた。しかも、それを企業の“商品化資料”にそのまま流用していた。私はそれを全部、日付と経緯と一緒に記録してました」

ノートの表紙には“実験記録”と手書きで記されていた。


ノートには、以下のような記述があった:

令和4年3月12日 実験B42 群サンプル再現性なし → 教授指示により「成功」と書換え 令和4年6月21日 企業提出資料Ver.3にB42データ転用 → 調整値入りで送信 令和5年1月5日 会議にて「皮膚常在菌制御効果90%」と説明、実測では52%

香月がページをめくる手を止め、目を細めた。

「これは……捏造の立証資料になる」

福間は低くうなずいた。

「研究成果が“売れるか”だけが重要だったんです。細胞の真実なんてどうでもいい。命も、倫理も、ビジネスの前では無力なんですよ」


K1は反証ノートを即座にスキャンし、警視庁データベースに格納。すぐに法務検察部門へ転送した。

堀田も合流し、ため息交じりに言った。

「これでもし検察が動かなかったら、日本終わってるぞ」

香月はノートを抱きながら言った。

「この重みは、裁判所で正義になる」


一方その頃──誠倫大学。

内部で異変が起きていた。

匿名メールがコンプライアンス委員会と複数のメディアに送信され、天海教授の研究費私的流用・暴言・セクハラ・データ捏造疑惑が並べられていた。

送信元不明。だがK1はログ解析からその“指紋”を見つけ出す。

「この書きぶりは、村上奈々だ。彼女はついに動いた」


翌朝、大学の掲示板には前代未聞の貼り紙が現れた。

『研究は、真実を求める行為であって、名誉の鎧ではない──誠倫大学医学部学生有志』

その文言は、静かに、しかし確実に学内を揺らした。

「崩壊が始まった」

K1の言葉に、誰も反論できなかった。


反証ノート。

それは、ひとつの研究室が葬り去ろうとした真実の断片であり、 いま、正義を立ち上がらせる“証明”の火種となった。

第六章:偽りの学術

日比谷公園の銀杏が黄色に染まりはじめた頃、K1は霞が関の空気にわずかな変化を感じていた。

文部科学省・研究支援局内。静かなフロアに、AI刑事の存在は異質だった。

「省内調査書に“倫理的に問題なし”とあった。しかしそれは、“調査した形跡”を残すだけの文書だ」

K1はデータベースから削除済み文書を復元し、そこに記された名前──「滝田将仁」の署名を指差した。


同じ頃、香月舞は文科省記者クラブで、あるライターと面会していた。

週刊新報のベテラン記者・佐原渉(仮名)。かつて誠倫大学の論文不正問題を追っていた人物だった。

「また誠倫大学か……まったく、あそこは学術の名を借りた利権の巣窟だよ」

佐原はノートを開いた。

「実は、天海教授の過去の論文で“自己引用”の不自然な増加がある。しかも、その一部は発表自体が確認できない雑誌だ」

「つまり“幽霊論文”?」

「そう。掲載実績を偽装するために、編集者に裏金が流れてたって噂もある」


K1はAI分析チームに、天海がこれまでに発表した全論文の信頼性スコアを出させた。

結果は衝撃的だった。

  • 審査付き査読論文:23本中8本に内容重複あり
  • 引用数が異常に多い論文:5本、すべて学内関係者による引用
  • 実験再現性未報告:12本

「これは“研究実績”というより、“装飾”だ」

堀田が肩を落とす。

「こんな奴が学会の理事やってるんじゃ、若い研究者は腐るわな」


その夜、K1は香月と共に、天海のかつての教え子である准教授・山城哲司(仮名)に面会した。

彼は研究室の隅で白衣のままK1たちを迎えた。

「……本当は、10年前に終わらせるべきでした。僕も、あなた方が来るのを待っていたんだと思います」

山城はロッカーから古いUSBを取り出す。

中には、2015年に天海が企業に提出した“プロトコル非公開契約書”のPDFがあった。

「この契約書、研究成果の中身を第三者に明かさないという条項があるんです。つまり、臨床結果が嘘でも誰も検証できない」

香月が顔をしかめた。

「倫理委員会はどうなってたんですか?」

「“教授が倫理”だったんです。彼の判断が、すべての正義でした」


K1は学会の公表データから、天海が関与した5件の学会賞授賞式映像を確認。全てが自校推薦による受賞だった。

さらに、一部は当該学会と協賛企業が共同で主催。協賛企業には、引山が代表を務めていた「日化創研」も含まれていた。

「つまり、裏では金の流れがあって、表では“名誉”が与えられていた」

名声を売り、倫理を買う──それが“偽りの学術”の正体だった。


12月初旬、天海教授は何食わぬ顔で国際学会に出席していた。

AI刑事K1は、その姿を中継映像で確認しながら、低く呟いた。

「彼はまだ、自分が崩れ始めていることに気づいていない」

第七章:壊れる支配

文部科学省内、研究補助金管理部門。

K1はディスプレイに映し出された資料の中に、不自然な交付記録を発見していた。

「年度ごとに分割された“教育研究活動強化費”の中に、5年間連続で『誠倫大学特別配分枠』が組み込まれている」

その総額、4億2千万円。

「そして、この申請書類すべてに滝田補佐官の電子署名がある」

香月が思わず言葉を失う。

「これ、税金の“私的割り当て”ってことじゃない……?」


堀田は一足先に、財務省外郭団体からの情報をもとに、大学と企業を結ぶ第三者機関「学術推進戦略センター」の資料を取得していた。

「ここを経由して、研究資金が“中抜き”されとる。名目は“学会連携促進費”」

その資金は、一部が天海教授の主催する講演会、さらに政治家のパーティー券購入へと姿を変えていた。

「もう“研究”じゃない。ただの利権スキームだ」


その頃、誠倫大学内でも急速に異変が広がっていた。

内部告発文書が、学生会と一部教員の手によって校内全体に共有されたのだ。

村上広報官は、校内緊急会議でこう発言した。

「もはや“隠蔽”は大学の首を絞めています。誠倫の誇りを守るには、“嘘を切り捨てる”勇気が必要です」

理事たちの顔がこわばった。


12月12日。警視庁と検察特捜部が合同で動いた。

令状執行。K1と香月、堀田が誠倫大学研究室に踏み込んだ。

天海教授は、白衣のまま背を向けていた。

「君たちは、何をもって“悪”と呼ぶのかね」

K1は答えた。

「悪とは、“責任を取らない支配”です」

教授の机からは、現金200万円の束、数十枚の未報告領収書、企業と交わした“極秘確認書”が見つかった。

教授は静かに微笑みながら言った。

「君たちは勝ったつもりだろう。しかし、こういう構造は、壊してもまた形を変えるだけだ」

香月は吐き捨てるように言った。

「それでも、始めるんです。正しい形を」


その日の夜、文部科学省で滝田将仁補佐官の“任意同行”が報道された。

局内の内部通報制度によって、K1たちの情報が決定打になったのだ。

ニュースが流れるテレビを前に、引山功一はぼそりと呟いた。

「ようやく、止まった……俺の贖罪も、ここからだ」


堀田はK1に声をかけた。

「K1、お前、まだ信用してないだろ。人間の正義ってやつを」

K1はわずかに視線を上げ、言葉を選んだ。

「私は、“正義は人間がつくるもの”と学んだ。ゆえに、それは常に未完成です」

第八章:公開の断罪

12月16日。朝。

都心を貫くNHKの生放送スタジオにて、全国へ向けた重大発表の予告が流れていた。

「このあと10時から、誠倫大学と文部科学省による記者会見が開かれます」

K1は警視庁の情報センターで、そのニュースを無言で見つめていた。

画面に映るのは、理事長、副学長、広報責任者──そして、広報室・村上奈々。


誠倫大学構内。報道陣と学生、教職員が詰めかけた講堂。

壇上に立った村上は、手にマイクを握り、静かに視線をあげた。

「本学で起きた一連の不正行為、研究費の不適切使用、学生への心理的圧力、倫理違反……すべて事実です」

会場にざわめきが走る。

「被害に遭われた皆さまに、大学を代表して謝罪いたします」

その目は揺れなかった。

「私は、今日ここで“大学の正義”を再定義します。研究者の沈黙のために、学生たちの未来を壊してはなりません」


香月は会見の中継を見ながら、深く息をついた。

「……強い人ね、村上さん。最後まで、正面から向き合った」

堀田は腕を組み、無言で頷いた。

K1が低く答える。

「真実は、語られた瞬間に力を持つ」


その午後、東京地検は天海教授を背任・収賄容疑で起訴。

起訴状には以下が明記された:

研究費計1981万円の不正使用

企業からの不正な謝礼授受

学生・民間研究者への接待強要

データ捏造による科学的詐欺行為

記者たちのシャッター音が連なる中、教授は弁護士と共に移送された。

表情は、終始無言。白衣を脱いだ彼に、かつての誇りはなかった。


その夜、香月は引山功一とカフェで向き合っていた。

「本当に……あのとき止められていれば、誰も苦しまなかったのかもしれない」

「でも、いま立ち上がったことが、誰かの“救い”になる。あなたが沈黙を破ったから」

香月の言葉に、引山は静かに頭を下げた。

「先生たちの中にも、優れた人がいたんです。学生の未来のために、誰よりも努力していた人たちが。でも、一部の腐敗が、全部を壊してしまった」

「だからこそ、明るみに出さなきゃいけなかったんです」


K1は夜の警視庁に戻り、モニターに浮かび上がる“裁判所提出書類”のフォルダを確認していた。

そこには、証言、証拠、画像、反証ノート、録音音声、全てが一つの体系となって格納されていた。

そして、画面には新たなファイル通知が届く。

《新規受信:大学法人助成金の不正処理疑惑》

K1の人工音声が静かに鳴った。

「次の解析対象、受信しました」

第九章:正義の再構築

東京地裁前。冷たい風が吹き抜ける中、記者たちのマイクが報道官に向けられていた。

「誠倫大学・天海元教授に対し、本日より正式に公判が開始されます。罪状は、背任・収賄・詐欺・威圧的行為による共謀です」

その場にK1の姿はなかった。彼はすでに、次の“闇”の解析に入っていた。

だが香月舞と堀田誠は、裁判所の傍聴席にいた。


証言台に立ったのは、学生の佐伯沙耶。

「私たちは、“逆らえない空気”の中で、ただ研究に打ち込むしかありませんでした。でも、それを利用する大人たちがいた。許せません」

その声に、傍聴席の空気が変わる。

香月が呟いた。

「この子が、未来を変える」


検察は証拠として、以下の資料を提出。

福間元研究員の“反証ノート”

LINEによる風俗接待要求ログ

音声ファイル「殺すぞ」脅迫発言

学会賞受賞の虚偽推薦書

村上奈々提出の内部文書

裁判官は静かに言葉を発した。

「被告は学術機関の中核を担うべき立場にありながら、職責を著しく逸脱し、公共の信頼を著しく損なった」


同じ頃、誠倫大学では“倫理再生プロジェクト”が始動していた。

村上奈々が委員長に就任し、教員・学生・外部監査機関を交えた“倫理ガイドライン再構築”会議が開かれた。

「この再生は、私たち全員の問題です。大学は沈黙する場所ではなく、真実に最も近い場所であるべきです」

学生たちの拍手が起こる。変化は、確かに始まっていた。


香月は堀田と共に、引山功一を訪ねた。

彼は、日化創研を改組し「ヘルス・エシックス・ジャパン」という公益法人に変え、被害回復と医療倫理普及活動を始めていた。

「まだ罪は消えません。でも、未来の研究者が同じ轍を踏まないように。それが、私にできる唯一の責任です」

香月が握手を差し出す。

「あなたが先に“謝ったこと”が、どれだけ重かったか──皆わかっています」


堀田は、K1のもとへ戻った。

「K1、正義ってのは、あんがい不恰好なもんだな」

K1はスクリーンを見つめながら言った。

「しかし不恰好なままでも、それを整えようとする“意志”こそが、法の根幹です」

新たな報告ファイルが届く。

《新規告発:大学法人補助金不正支出──匿名報告:『サイレント・チェンバー』》

香月が画面を覗き込む。

「また始まるのね……K1、覚悟はいい?」

「私は、沈黙に屈しない」

第十章:沈黙の研究室

1月、東京。

灰色の空が街を包み込み、吐く息が白く立ちのぼる中、K1は誠倫大学の旧図書館棟に足を踏み入れていた。

再開発の対象から外れたこの場所は、忘れられたように静かだった。だが、K1の目には“痕跡”が映っていた。


内部告発『サイレント・チェンバー』──それは、まだ公表されていない“第二の不正”の記録だった。

書類の発信元は非公開。内容は、かつて天海教授が構築した仮想研究室ネットワークの存在と、その中での架空研究実績の量産。補助金・助成金・学会実績・評価点数──あらゆる成果が“システム上の虚構”で作られていたという。

「これは……“研究ごっこ”の温床だった」

K1はサーバールーム跡地にある制御盤を開け、古いノードの中から一つの記録ファイルを復元した。

そこには、AIによる自動生成論文のサンプル、業績入力テンプレート、評価加点操作マニュアル……学術の装いをした“生成工場”の記録が残っていた。


一方、香月は大学職員の協力を得て、地下保管庫にある“内部処理記録”を発見。

その中には、複数の教授が形式的に学会発表を行ったことにして、実際には音声合成やプレゼン代行を利用していた実態が記されていた。

「自分の声すら使わない学者たちが、“未来”を語ってたのよ……」

香月の声が震える。


堀田は捜査資料の山を背に、K1に訊ねた。

「これでもなお、“大学”って場所を信じていいのか……?」

K1は答える。

「“沈黙”とは、何も語らないことではなく、語るべき時に口を閉ざすことを指します。沈黙の研究室は、制度の死角でした。だが──」

K1は香月に視線を送り、彼女が頷く。

「今、それを語る人々が現れた。それが唯一の希望です」


裁判は最終局面を迎えていた。

検察側は、補助金不正・捏造論文・大学経由での不透明資金の全容を提示。

判決文が下された──

「被告は、その地位と名声を利用し、組織の沈黙を盾に、自己の利益を追求した。これを厳しく断罪する」


その日、村上奈々は校内のホールで、学生たちに向けて最後のメッセージを語った。

「正しさは、静かに壊れます。でも、誰かが声を上げれば、それはまた組み直すことができます。みなさんが、その最初の声であってください」


K1は夜の警視庁で最後の報告書を完成させていた。

タイトルは、「沈黙の研究室における制度的構造と倫理的空洞に関する捜査報告」。

香月と堀田がその背を見つめながら言った。

「この捜査、間違いなく人を救ったな」

「でも、K1の表情は、最初と変わらない」

K1はほんの一瞬だけ、モニターに映る街の灯を見つめて言った。

「私は、人の正義を信じる。それは、何度でも再構築されるものだから」

──完──

あとがき

この作品を通して描きたかったのは、“正義”が決して絶対的なものではないという事実です。

大学、研究者、官僚、企業、それぞれの正義が交錯し、時に衝突し、沈黙のなかに葬られていく。だが、そこに声を上げる者がいたとき、初めてそれは再構築される。K1たちは、そんな再構築のための“光”の役割を担ってくれました。

読者の皆様にとっても、この物語が何かの“きっかけ”になることを、心から願っています。

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