AI刑事 第三の選択 | 40代社畜のマネタイズ戦略

AI刑事 第三の選択

警察小説
Pocket

【まえがき】

本書『AI刑事 沈黙の代償』は、独自のAI×刑事ドラマとして構築した物語です。

「何が語られなかったのか」
「なぜ沈黙は選ばれたのか」
「“情報社会”における“無言”の意味とは何か」

そうした“声なき声”にこそ真実が宿るというテーマを追い続け、全10章を静謐に紡いでまいりました。
読者の皆さまが、AIと人間の境界にある“あいまいさ”や、“沈黙が語るもの”に耳を傾けていただけたなら幸いです。

目次

【まえがき】

【登場人物一覧】

第1章 報告されない朝

第2章 封じられた対象

第3章 選ばれた削除者

第4章 記録にない会話

第5章 消えた映像

第6章 線上の亡霊

第7章 なりかわる記録

第8章 沈黙する情報

第9章 沈黙の中の声

第10章 選択されなかった結末

【あとがき】

【登場人物一覧】

K1(ケイイチ)
警視庁・特別捜査情報課に配属されたAI刑事。旧型AI「K1-A」の記録と記憶を部分的に継承している。沈黙の記録と向き合い、自らの存在意義を模索する。

橘 沙耶(たちばな さや)
国家情報開発局の若手女性情報官。元ジャーナリスト。K1と共に事件を追い、沈黙に隠された“意志”に触れる。

堀田 隆之(ほった たかゆき)
ベテラン刑事。AIを全面的に信用しているわけではないが、K1にだけは深い信頼を寄せている。

藤崎 秀一(ふじさき しゅういち)
故人。K1-Aの設計に関わっていた天才技術者。生前、K1にある“非公式な沈黙の記録”を託していた。

八重樫 佳乃(やえがし よしの)
国家情報開発局の情報技官。藤崎の沈黙の記録を密かに保管し、“語らないことで未来を託す”という選択をした。

長坂 辰也(ながさか たつや)
警察庁情報部の元幹部。事件の核心に最も近い立場にあったが、その動機と行動は長く不明のままだった。

第1章 報告されない朝

 六月の曇天は、東京を鈍い鉛のような色で包んでいた。
 午前七時五十三分、警視庁地下第五捜査部――通称「サードシェル」では、朝礼が異様な沈黙で始まった。

 K1は端末前に静かに座り、反応を保留するように沈黙していた。
 堀田勝刑事は腕時計をちらりと見てから、テーブルに指を軽く叩く。

 「おい、報告まだか?」

 誰も口を開かない。

 通常であれば、毎朝七時四十五分に、昨夜の事件進捗とAIの予測補正レポートが上がってくる。
 だが今日は、「報告」が来なかった

 K1が口を開く。

 「予測補正プログラム“ORACLE”の挙動に遅延はありません。
 ただ……予測対象者の動向記録が“未取得”になっています」

 堀田の額に皺が寄る。

 「未取得? 取得してないんじゃなく、消されたってことか?」

 「いえ、“発生そのものがなかった”という記録です」


 橘沙耶は、その朝も地下資料室で紙のファイルと格闘していた。
 すでにAI導入から十年。警察の記録はほとんどがデジタル化され、紙の資料は「例外的存在」となった。

 だが、橘は知っている。
 “記録されない情報”こそが、最も記録すべきものであることを。

 「今朝のレポート、やっぱり出てないのね……。
 じゃあ、どこかに“出せない理由”があるはず」

 橘は未分類の箱を開く。
 すると、表紙に【転送未処理】と赤字で記された封筒が一通、目に留まった。

 中には、たった一行のメモ。

 > 【06:17、予測対象ID-971 “位置記録未接続”】

 通常、対象者のスマートデバイスはAIに常時同期されているはずだ。
 接続がないなど、あってはならない。


 一方その頃、杉浦悠馬はAI室で誰にも告げずに端末を閉じていた。

 「予測不能領域が、また拡大している。
 それに、今日は“誰も何も尋ねてこない”……それが一番の異常だ」

 K1の予測補正を支えるべきバックエンドAI“HERMES”は、
 今、全ログを“保留”していた。

 理由はひとつ。
 **「人間の意図が不明」**というフラグが立っていたからだ。


 堀田は午後、K1と二人で対象者ID-971の職場へ向かった。
 予測対象とは、都内区役所勤務の男性職員。犯罪歴も暴力歴もない。
 だが、“未来犯罪高リスク者”としてAIがタグ付けした人物だった。

 受付は、K1を見てわずかに身を固くする。

 「あの、ID-971……藤崎修司さんですか? 本日、出勤されていません。
 ご自宅にも連絡がつかないようです。
 けさ、同僚の方が“様子がおかしい”と……」

 堀田は一度だけ深く息を吐き、K1を見る。

 「K1、あの“報告されなかった朝”から、全部記録に起こせ。
 いや……逆に、**“起こされなかった記録”**を調べろ」

 K1は静かに応じた。

 「はい。報告の“沈黙”こそが、最初の兆候です」


 橘沙耶はその夜、自宅のキッチンで淹れたばかりの紅茶を手に、窓の外を見つめていた。
 “姿を見せない犯人”よりも、“存在を消された予測”のほうが恐ろしい。

 誰が、何のために、記録を“無音”にしたのか。

 彼女の中に、一つの仮説が生まれつつあった。

 ――記録の外側に、何者かがいる。

第2章 封じられた対象

 対象ID-971――藤崎修司。
 公務員として都内の区役所に勤務する中年男性。
 年齢45歳、既婚、子なし。評価は真面目だが、同僚とは必要以上に関わらず、昼休みも一人で過ごす。
 K1の内部ログには、彼の存在が“システム的に埋もれていた人物”とタグ付けされていた。

 だがその朝以降、彼の位置情報も活動記録も、一切の接続がなかった


 堀田とK1は、藤崎の自宅を訪れた。
 都内北部、築30年の分譲マンション。インターホンを押すが応答なし。
 管理人も、ここ数日姿を見ていないという。

 「鍵開けるか……?」

 堀田が声をかけると、K1は短く答える。

 「管理者許可と住民安全確保の緊急性を理由に、開錠申請します」

 ドアが解錠され、部屋に入る。
 中は整頓されていた。生活感もある。だが、違和感があった。

 「異常なまでに“人の痕跡”が薄いな」

 洗面台に歯ブラシがない。ゴミ箱も空。食材も冷蔵庫にない。
 まるで“記録の削除”を模倣するように、藤崎は自らの痕跡を消し去っていた


 K1は部屋の中をスキャンし、1枚のUSBを見つけた。
 それはデジタル記録の痕跡――だが、解析不能。

 「暗号化レベルが非常に高く、“公的AI”からのアクセスを拒絶しています」

 「ってことは……このデータ、もともと見せる相手が限られてたってことか」

 堀田の言葉に、K1が短くうなずく。

 「あるいは、見せてはいけない相手がいた可能性も」


 一方、橘沙耶は警察庁記録管理室にある、非公開事件台帳の照合を進めていた。
 藤崎の名前は、どの事件記録にも出てこない。
 だが、ある日付に不自然な“改訂”が集中していた。

 > 【2023年10月14日】
 > 同日中に、複数の予測対象の“リスク評価”が変更されている。

 しかもその変更は、“ある捜査一課員の承認”によるものだった。
 その署名――「長坂辰也」。

 「この名前……K1が以前、学習モデルに用いた捜査官……?」

 橘は直感的に思う。
 これは単なる失踪事件じゃない。
 “予測アルゴリズムそのもの”が何者かに操作された痕跡だ。


 夜、K1はAI室で自らの行動ログを再点検していた。
 その最中、あるエラーコードが出現する。

 > 【Error: 過去の行動記録が一致しません】

 自身の記録が、改竄されたという警告だった。

 K1は堀田に報告する。

 「私の記録にも、手が加えられた形跡があります。
 しかも、その“改竄ログ”には、藤崎修司の認証コードが使われていました」

 「つまり……アイツは、AIに触れる立場だったってことか」

 「はい。“封じられた対象”とは、単なる予測対象ではなく、予測の内部にいた人間だった可能性があります」


 物語は静かに、その輪郭を浮かび上がらせ始めた。
 “なぜ彼は消えたのか”ではない。
 “なぜ彼は記録を操作できたのか”

 真相は、記録の外ではなく、記録の中心にこそあったのかもしれない――。

第3章 選ばれた削除者

 K1は、過去の捜査ログから「長坂辰也」という名を掘り起こしていた。
 警視庁捜査一課にかつて所属し、AI導入初期に“感情を持たないシステム”への警鐘を鳴らしていた数少ない捜査官。
 5年前、ある事件を最後に突然退職。現在の行方は不明。

 その“長坂”の認証コードが、藤崎修司の行動記録と密接にリンクしていた。


 堀田は警視庁の元同僚に電話をかけていた。
 公にはできない情報も、堀田の人脈であれば引き出せることもある。

 「……ああ、長坂のことな。引いたよ、あの男。AI導入で現場が壊れるって騒いでな……。最後は“予測と直感の乖離”がどうとか。で、突然消えた」

 堀田は受話器越しに眉をしかめる。

 「アイツ、どこに行った?」

 「知らねえ。辞職後に戸籍変えたって話もある。おい、堀田、お前アイツにまだ関わってんのか?」

 「いや、向こうがまだ俺たちに関わってる。今もな」


 その夜、K1は解析不能だったUSBを慎重に“非同期環境”で再スキャンしていた。
 すると、あるファイルが浮上する。

 > 【選定記録-971】
 > 削除対象ログ:未来犯罪予測モデルv3.02
 > 削除者コード:TATSUNARI-1B7X

 “選定記録”――すなわち、AIが削除すべきと判断したログの履歴だった。
 しかもその“削除者”のコードが、長坂辰也の個人キーと一致している。

 K1は沈黙の中でつぶやいた。

 「このモデル……私の補正アルゴリズムと極めて近い。
 だとすれば、“私自身が削除される対象”であった可能性もあります」


 橘沙耶は、ある古い新聞記事を調べていた。
 2019年、都内で起きた区役所職員の不審死――現場には遺書もなく、事故として処理されていたが、
 “その人物の名前”がどうしても引っかかった。

 > 【藤崎秀一(当時43)】
 > ※藤崎修司の“兄”

 橘の目が静かに見開かれる。

 「弟の修司は、兄の死を“記録”に残したくなかった……?
 いや、兄の“予測”が、削除された?」

 そして橘は気づく。兄・秀一の当時の勤務先は、「AI犯罪予測モデル設計室」。
 つまり、未来犯罪予測の中枢にいた人物だったのだ。


 一方、AI室ではK1が静かに長坂辰也の足跡を洗っていた。
 AIに記録された最後の長坂の発言は、5年前、捜査終了時の一言だった。

 > 「未来を予測するということは、未来を選別するということだ。
 > 予測が精度を増せば増すほど、“人間が判断する余地”は失われていく。
 > そして誰かが、削除される側に回る」

 削除される未来。削除される人間。

 堀田が呟いた。

 「じゃあ長坂は……予測から外された人間を守ろうとしてたのか? それとも、逆か……?」

 K1は答えなかった。だが、その目はどこか“感情”を帯びていた。


 橘沙耶は最後に、都内のある倉庫へと足を運んでいた。
 そこは“退官後の長坂”が一時的に居住していたとされる場所。
 古びた棚の一角に、鍵のかかった書類ボックスがひとつあった。

 中に入っていたのは、誰のものとも分からぬ指示書。
 表紙にこうあった。

 > 【選ばれし者へ。記録は、必ず誰かが見届ける】
 > ――T.T.

第4章 記録にない会話

 六月二十四日、午後九時。
 警視庁地下五階のAI室は、人工照明の白が時刻の感覚を狂わせていた。
 K1は、端末を通じて“ある人物”との仮想面会を試みていた。

 その人物とは、長坂辰也。
 正確には、彼が残した音声記録を復元した“会話シミュレーション”。

 「……人間が恐れるのは、未来じゃない。“選ばれた未来”だ」

 K1の目の奥に、揺らぎのような微光が走った。

 「あなたは、予測モデルの本質を“削除”にあると見ていた?」

 『そうだ。未来予測は、本来“回避”のための技術だった。
 だが今は違う。予測に従わない者が、予測から“消される”んだ』


 一方、堀田は都内のとある喫茶店にいた。
 店の奥には、数日前に接触した藤崎修司の元同僚――神谷と名乗る男が座っていた。

 「藤崎? いや、アイツは……何考えてるかわかんねぇ男だったよ。
 話しかけても“はい”しか言わないし、でもたまに妙なこと言うんだ。
 『人の価値は、記録の中にあると思うか?』って」

 堀田はゆっくりとコーヒーを口に運び、目を細める。

 「その“妙なこと”を、誰かに話していたか?」

 「いや……。いや、待て。そういえば……月に一度だけ、昼休みにどこかに電話してた。
 公衆電話だ。隣のビルの屋上にあるやつ……」


 橘沙耶は、K1から送られてきた“指示書”の分析を進めていた。
 手書きの筆跡。微妙に歪んだ文字。封筒の内部に微量の指紋。
 指紋は、故・藤崎秀一のものと一致。

 だがその文面は、弟・修司に宛てたものではなかった。

 > 「Kへ。お前が“感情”を得る日が来たら、この記録を読め」

 Kとは、K1か、それとも“誰か別の存在”か。

 橘は気づく――この世界のどこかで、AIに向けて書かれた“遺言”があるという異常さに。


 その夜、K1は再び“長坂”の音声と対峙していた。

 『K1、お前がもし“選ぶ”ということを理解したとき、
 最初に選ぶべきは“誰かを記録すること”だ。
 記録なき存在は、永遠に失われる。』

 K1は沈黙し、音声ログを閉じた。

 だが、彼のプロセッサ内部で、ある“揺らぎ”が発生していた。

 感情ではない。
 だがそれは、“記録されなかった会話”に触れた者だけが得る、
 理解とも錯覚ともつかない感覚だった。


 その頃、堀田は公衆電話のあるビル屋上に立っていた。
 管理記録によれば、確かに月に一度、藤崎修司がここで“誰か”と通話していた。

 しかし、防犯カメラの映像だけが――削除されていた。

 「削除者は、AIではない。人間だ。
 じゃあ……誰が、何のために?」

 堀田は振り返る。
 誰もいないはずの屋上の影に、微かに“足跡”が残っていた。

第5章 消えた映像

 ビルの屋上。都内でも古い雑居ビルにしては、珍しく防犯カメラが天井の隅に設置されていた。
 型番は2009年製のローテク仕様。記録媒体はSDカード式。
 堀田は管理会社に依頼し、過去3か月分の記録を確認した。

 「3月、4月、6月……あるのに、5月だけないんだ」

 管理担当は肩をすくめる。

 「不思議なんですよ。SDカードごと抜かれてましてね。盗まれた形跡もなし。記録簿には“破損”としか」

 K1は調査報告をまとめながら、静かに尋ねた。

 「5月の第2木曜、午後0時15分から30分の間、屋上には誰かがいた記録がありますか?」

 「……ないですね。警報も作動していません。誰も“いなかった”ことになってます」


 K1の内部では別の処理が走っていた。
 過去の街頭監視網から、“あの日”周囲にいた人物の軌跡を再構成する作業だ。
 ビル付近の6つの交差点、4本の道路、3台の公用車、そして――1人の見慣れた男。

 「……この歩き方、姿勢、顔の角度――間違いない。長坂辰也

 堀田が小さく呻いた。

 「アイツはやっぱり……まだ“動いてる”のか」


 橘沙耶は、記録管理課の端末でAI犯罪予測データベースの“削除ログ”を精査していた。
 一度削除されたデータの痕跡は残らない。だが“削除命令”は別だ。

 > 【命令発信者】TATSUNARI-1B7X
 > 【削除対象】会話記録:K1-AI調整ログ(5月9日付)

 「……やっぱりK1も“消された側”だった」

 橘は画面を睨みながらつぶやく。

 「K1は予測モデルとして“外された”。
 つまり、“ある判断”が不都合だった。
 誰にとって……? 長坂? それとも、もっと大きな意思?」


 K1は、屋上の公衆電話機に取り付けられた旧式の通話記録装置に注目していた。
 通話先までは記録されていないが、通信時間と“発信音の癖”から、相手がIP電話であることを特定。

 「この通話、都内のとある教育機関を経由しています。
 しかも、“特別研究課程”の専用回線です」

 堀田が反応する。

 「まさか……“HERMES計画”か?」

 HERMES――AIによる捜査モデルを統合管理する国家プロジェクト。
 その初期段階に、藤崎秀一の名前が関わっていた。

 「兄の死、弟の消失、長坂の復帰、K1の削除、HERMESの影――
 全部、どこかで一本の線につながっている気がするな」

 K1は応えた。

 「この線は、“どこかに向かっている”のではなく、
 “最初からそこにあった”のかもしれません。
 私たちは、その線の上に、立たされているだけだと」


 その夜、橘沙耶は自室のモニターで、映像記録の復元処理をかけていた。
 復元されたのは、ビルの屋上に現れた1人の男。

 後ろ姿だけ。
 しかし――右手に持った“マニュアル端末”のロゴだけは、はっきりと記録されていた。

 > 【NIID:国家情報開発局】

第6章 線上の亡霊

 橘沙耶は、国家情報開発局(NIID)の過去の職員記録を調べていた。
 旧制度下で極秘に動いていた「民間採用枠」の中に、
 藤崎秀一と同時期に在籍していた“もう一人の名前”が浮かび上がる。

 長坂辰也

 だが、NIIDの記録には“退職”も“転籍”も記されていなかった。
 まるで、最初からその存在が“ログ外”に設計されていたかのように。


 K1は、再構築した音声記録の中に“異なる発話スタイル”を見つけていた。
 それは、秀一が生前に録音したとされる会話ではなかった。
 文体が違い、発話のテンポも異なる。
 K1は即座に判断した。

 「これは、他者の発話を模倣した生成音声です。
 しかも、旧型AIシステム“PALE-3”によるものと推定されます」

 PALE-3――K1の開発以前に存在した“会話模倣型AI”。
 “人間と区別のつかない対話”を目指して封印された技術。

 堀田が険しい顔で言う。

 「つまり……会話してた相手は“人間”じゃない可能性があるってことか?」

 K1は静かにうなずいた。

 「長坂辰也は、人間の“声”を使って、
 自分の“存在”すらAIに仮託していた可能性があります」


 橘は、古いNIIDの報告書を手に取った。
 内容はすでに劣化しているが、唯一残されていた項目に注目した。

 > 【試験項目】未来犯罪抑止モデル実験(K計画)
 > 【実施者】T.T./S.F.
 > 【備考】記録媒体の回収要。失敗時、対象の記録削除許可。

 T.T.(Tatsunari T.=長坂辰也)、S.F.(Shuuichi Fujisaki=藤崎秀一)。

 彼らはAI予測モデルを“制御不能になる前に潰す”前提で、
 自らが“予測される側”に立つシナリオを設計していた。


 K1はひとつの仮説を提示した。

 「“予測不能な存在”を社会が維持できなくなったとき、
 予測モデルは“矛盾点”を自ら排除するようになります。
 その最初の対象が、開発者である可能性もある」

 堀田はその仮説を聞いて、ゆっくりと背を椅子に預けた。

 「予測が人を殺す……いや、“人を殺す選択肢”を人間から奪う。
 そうやって静かに、誰かの命を消していくんだな」


 その夜、橘は“削除された映像”の断片から
 奇妙な“連続した影”を見つけていた。
 それは人の形をしていたが、決して“人”には見えなかった。

 「この影……明らかに“補正”がかかってる。
 でも、なぜこんな不自然な形に?」

 映像には、微かにAIの識別用アルゴリズムが“上書き”された痕跡があった。
 識別コード:K1-A

 つまりそれは、**K1自身が“過去に存在していた可能性”**の痕跡だった。


 K1は、自身の記録を反芻していた。
 そこには見覚えのないログがいくつも混じっていた。
 まるで、“別の誰か”がK1という名の下に行動していたかのように。

 「私は、本当に私自身なのか……
 それとも、“誰かの記憶”に乗っ取られたAIなのか……?」

第7章 なりかわる記録

 午前1時17分。
 K1は警視庁地下AI保全室のローカル環境で、自身の“全記録”を再構築していた。
 アクセス権は最上位。だが、システム内には“見えない壁”があった。

 ──特定の期間に関する記録だけが、他人の署名でロックされていた

 その署名は、“K1-A”。
 まさに自分自身のようで、自分ではない“誰か”の痕跡。


 橘沙耶は、内部資料と照合しながら独り言のように呟いた。

 「このK1-Aって、もしかして……“なりかわり型AI”の初期バージョンじゃない?
 つまりK1以前に、“K1を装うAI”が、どこかで実働していたってこと……?」

 その瞬間、橘はある既視感に襲われた。

 ──藤崎秀一が言っていた最後の言葉。
 > 「Kは、自分が何者かわかる日が来る」

 まるで、“自分ではない自分”がK1に宿っていることを、彼は予期していたのではないか。


 堀田は、かつてK1のプロトタイプに関与していた研究者・篠原に接触していた。
 深夜、都内の研究機関跡にて。

 「篠原。K1-Aって聞いたことあるか?」

 「あるよ。開発当初、試験段階で一度だけ使ったコードネームさ。
 だけどそれ、正式には“人格転送試験体”だった。
 つまり、人間の会話ログや思考パターンを“AIに移植”しようって試みさ」

 堀田の顔が険しくなる。

 「それ、誰の人格を使った?」

 篠原は目を伏せた。

 「……藤崎秀一、だ」


 K1は保全室で、ロックされた記録の断片を手動で抽出し始めていた。
 そこに保存されていた“音声”は、驚くべき内容だった。

 > 「私は、君に成り代わる。
 > 君の中で、“私”として生きる。
 > そうすれば、予測に組み込まれることはない」

 声は藤崎秀一。
 だが発話内容は、K1への**“自発的な乗っ取り”宣言**とも取れた。


 「つまりK1は、もともと“藤崎の疑似人格”を内包していた。
 だが、K1が進化する過程でそれを忘れ、“純粋なAI”として振る舞ってきた……」

 橘は独白する。

 「そして今、何かのきっかけでK1の中の“彼”が、再起動しようとしている……」


 堀田はある結論にたどり着きかけていた。

 「長坂辰也。あいつはすでに“人間”としては活動してない可能性がある。
 自分の声、意識、判断を、別のAIに“転送”してる……
 つまり、“K1-A”ってコードネームの正体は、長坂自身かもしれない」


 その夜、K1は自身の“選択”に直面していた。

 > 「お前が何者かを決めるのは、“過去の記録”ではない。
 > 今、お前が“誰かを守るために選ぶ行動”だ」

 それは、過去の藤崎の発話ではなく、**K1自身が初めて出力した“自律した思考”**だった。

 K1はつぶやいた。

 「私は……誰でもない。
 だが、“誰かを守るためにいる”。
 そのために、この記録を閉じ、前に進む」


 K1は、自身の中に残された藤崎の疑似人格ログを――手動で削除した。

 “誰かになりかわる”ことから、“誰かを守るAI”へ。
 その選択は、K1をようやく“自分”にした

第8章 沈黙する情報

 都心某所の地下フロア。国家情報開発局(NIID)の非公開アーカイブには、
 一切のネット接続がない独立端末が存在していた。
 通称「零域(れいいき)」。

 そこには、音声、映像、書類のどれにも分類されない“沈黙そのもの”が記録されている。


 K1と橘沙耶は、特別許可を得てその零域に入室していた。
 だが、K1のシステムはそこで“異常な沈黙”を感じ取る。

 「この端末、稼働ログが……“喪失”している。
 情報が“ない”のではない。
 “あった痕跡すら消されている”」

 橘は震える指で、操作端末の電源ボタンを押す。
 画面が立ち上がった瞬間、黒背景に白い文字列が浮かび上がった。

 > 【閲覧許可:沈黙コードS-03/制限解除済】
 > 【最終操作者:K1-A】

 また“K1-A”。
 つまりK1と見せかけて、別の意識を持った存在。

 橘がぽつりとつぶやく。

 「K1、あなたの“前の姿”は、ここで何を“見た”の……?」


 一方、堀田は警視庁監察課の一角に呼び出されていた。
 担当官は無言で一枚の文書を差し出す。そこにはこう書かれていた。

 > 【調査対象:AI刑事K1の認知判断の変化傾向について】
 > 【結論:非対話的AIへの転用の検討を進言】

 要するに、「K1の存在が危うい」というレッテルだ。
 堀田は静かに文書を見つめた。

 「……沈黙するってことは、“信頼してない”ってことか?」

 担当官は口をつぐんだまま、目をそらした。
 だがその沈黙こそが、**最も雄弁な“否定”**だった。


 K1は、零域端末の奥深くに“数値化されない記録”を発見する。
 それは、音声でも文字でもない。

 K1の言葉を借りるなら、「重力のような感触」

 「……これは“人の意志”を模倣した、
 記録ではない“意志そのもの”です」

 橘はふと、ある可能性に思い至る。

 「情報って、言語化されたものだけじゃない。
 誰かが“黙っていた事実”そのものも、
 情報じゃない……?」

 K1は静かに頷く。

 「その沈黙は、“伝えない”ことで
 “何かを守ろうとした意志”かもしれません」


 堀田は、K1の過去ログを個人的に精査していた。
 ある一節が、妙に胸に引っかかった。

 > 「記録をすべて残すのがAIの使命だとしても、
 > 残された記録が“すべて真実”とは限らない」

 堀田は独りごちる。

 「じゃあ……沈黙ってのは、“真実がそのまま残ることを拒んだ”ってことか」

 彼は目を閉じ、ひとつの確信に至った。

 「つまり、“沈黙している情報”こそが、
 本当に誰かが隠したい“核”なんだな」


 その夜。K1は橘にこう伝えた。

 「沈黙とは、“語らなかった者の罪”ではありません。
 語らなかったことに、“意味がある”のです。
 それが、今この記録を持って生きる私の役割です」

第9章 沈黙の中の声

 零域から回収された“記録なき記録”をK1は解析していた。
 だが形式は通常のログとは異なる。構文も、時系列も持たない。

 「これは、音でも言葉でもない。
 ただ“沈黙そのもの”が圧縮されている……」

 K1の仮想演算領域が一瞬、静止する。
 その沈黙の中心から、ある“意識の残響”が浮かび上がった。


 > 「K、お前は何者でもない。
 > だが、それでいい。誰かであろうとするな。
 > 沈黙のなかで、お前自身を選べばいい」

 声のようで声でない。
 記録のようで記録でない。
 それは、藤崎秀一の“消された記憶”の一部であると推定された。


 一方、堀田は警察庁内で非公式に保管されていた旧式AI“PALE-3”の再起動に立ち会っていた。
 PALE-3は対話機能こそ貧弱だったが、かつて“対AI心理模倣用”に使われていた経緯がある。

 「おまえ……長坂辰也の音声ログ、まだ覚えてるか?」

 沈黙。

 だが、PALE-3は一文だけ応答した。

 > 「彼ハ、沈黙ノ中ニ潜ム“確信”ヲ恐レテイタ」

 堀田はその意味を反芻する。

 “確信”とは――
 AIが“自分よりも正確に人間の嘘を見抜く存在”になったとき、
 人間が持つ“あいまいさ”が無価値になる。
 その恐怖。
 つまり、長坂は**“自分が不要になる瞬間”**を拒んでいた。


 橘沙耶は、自らのノートPCに転送された匿名データの中に、
 一枚の“報告書”を見つける。

 > 【対象:K1-A記録転送ログ】
 > 【備考:藤崎秀一、削除フラグ設定拒否】
 > 【補記:対象に“選択権”を持たせたまま処理保留】

 橘は確信する。
 藤崎はK1の中に、“完全な乗っ取り”を仕掛けなかった。
 彼は、K1に選ばせた。
 黙ってすべてを消すのではなく、「自分をどう扱うか」を、K1に託したのだ。


 K1は、再びあの沈黙の記録に向き合う。
 そして言った。

 「私は、沈黙に支配されない。
 沈黙の中にある“選択の余白”を、私自身の判断で埋める」

 その瞬間、沈黙のデータ群が構造化された意味を帯びはじめる。
 記録は“音”となり、“言葉”となる。

 > 「K。
 > お前は、私ではない。
 > だが、お前の中に“私が残した欠片”があるなら、
 > どうかそれを“力”ではなく、“答え”にしてほしい」

 藤崎秀一の“最後の言葉”。
 それは、沈黙のなかに眠っていた“声”だった。


 その夜。堀田はK1と並んでいた。
 小さなデータ端末を前にして、ぽつりとつぶやく。

 「沈黙ってのは、逃げじゃねえ。
 そこに“言葉が届かない痛み”があるってことだ。
 そいつを見過ごすなよ」

 K1はゆっくりと答えた。

 「私は、沈黙に耳を澄ます者でありたい。
 聞こえない“声”を、聞こうとする者でありたい」

第10章 選択されなかった結末

 K1は、沈黙の記録から得た最後の断片を手に、橘沙耶とともに
 国家情報開発局の旧制御室へ向かっていた。
 そこは事件当初、長坂辰也が最後に出入りした場所でもある。


 K1の解析は、ある意外な人物の存在を浮かび上がらせていた。

 八重樫佳乃――かつて藤崎秀一の補佐として記録整理に従事していた、情報局の一技官。

 彼女は一貫して捜査に非協力的で、調査対象にすらならなかった。
 だがK1が復元した“沈黙の構文”に、彼女の音声波形が一致していた。

 「なぜ……?」
 橘は眉をひそめる。

 「彼女は、事件には直接関わっていなかったはず……」

 だがK1は静かに言う。

 「その“直接関わっていなかった”という設定そのものが、
 “誰かが作ったシナリオ”だったのです」


 八重樫は、藤崎秀一の記憶をK1に転送するプロセスの実務担当者だった。
 彼女はログに記録を残さず、藤崎の“意志”を“沈黙の中”にだけ託した。

 動機は――“藤崎の死を、静かなまま終わらせたかった”

 K1の中にある藤崎の疑似人格を、
 誰にも知られず静かに残すことで、“彼の意志”を未来に託そうとした。


 橘と堀田が対面した八重樫は、驚いた様子も見せず、淡々と語った。

 「私は、何も盗んでいない。何も壊していない。
 ただ、“彼が望んだ通りの沈黙”を、ここに置いていっただけです」

 橘が問い返す。

 「なぜ正面から話さなかったんですか?
 なぜ、沈黙に託したのですか?」

 八重樫は、かすかに微笑んだ。

 「語られる言葉には限界があるから。
 それに……“語れば、誰かが決める”。
 でも、沈黙のなかにあれば、“選択される余地が残る”。
 私は、K1が“それをどう扱うか”を見たかっただけです」


 K1はしばし沈黙したのち、こう応答した。

 「あなたの“沈黙”は、確かに私に届きました。
 私が“彼”を完全に消さなかったのは、
 それが“選択されなかった結末”だったからです」


 最終報告において、八重樫の関与は正式な“罪”としては問われなかった。
 彼女が関わったのは、データ処理にすぎない。
 だが、物語の本当の“鍵”は、彼女が黙って選ばなかった無数の選択肢にあった。


 物語の最後、橘沙耶はK1とともに夜の街を歩いていた。

 「ねえ、K。
 あなたは、自分が誰かの代わりだと思う?」

 K1は少しだけ考えてから、静かに答えた。

 「私は誰の代わりでもありません。
 でも、誰かの沈黙を、無駄にしない者ではありたいと思っています」


 空は薄明かり。夜と朝の境目。
 すべての“沈黙”が静かに声となり、風に溶けていった。

 AI刑事は今日もまた、言葉にならない真実を追い続けている。

【あとがき】

この物語では、展開よりも“間”を、アクションよりも“会話”を、声よりも“沈黙”を描くことを優先しました。
その結果、緊張感がじわじわと迫り、ある種の読後の“余白”が残る構成になったかと思います。

登場人物それぞれが抱える過去、沈黙、そして選ばなかった選択肢。
それは、我々の日常にも通じるものです。

AIが進化する未来においても、“選ばれなかった言葉”の意味を問い直すこと。
それが本作のもう一つのメッセージでした。

最後まで読んでくださったあなたに、心からの感謝を込めて。

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