【まえがき】
AI刑事シリーズの最新作『裁きの教室』へようこそ。 本作は、教育現場という極めて日常的な場所で起きた異常な事件を通じて、AIの介入と人間の意思、そして「裁き」と「再生」の本質を問い直す物語です。
「教育とは何か？」 「AIが人を評価する社会に、何を残すのか？」
読者の皆様にとって、本作が問いかけの旅となることを願って。
――著者
目次
【登場人物紹介】
◆AI刑事・K1（ケイワン） 公安部所属。AI支援型捜査官。論理的思考を得意とし、感情に流されない判断を下す。
◆堀田彩（ほった・あや） 公安部刑事。K1の相棒。情に厚く、人間味あふれる捜査スタイル。
◆橘佳乃（たちばな・よしの） 新聞記者。正義感と観察力に優れ、独自の視点から事件を追う。
◆早乙女浩一（さおとめ・こういち） 進学校のカリスマ教師。教育AIを用いて生徒を“選別”していたが、突如教室を封鎖し人質事件を起こす。
◆川村孝志（かわむら・たかし） 副教頭。事件当初は温厚な人物と見られていたが、真の黒幕としてAI運用を陰で操っていた。
◆冴木杏奈（さえき・あんな） 生徒。AIにより“問題あり”とされたが、その実像は繊細で優秀。事件の重要な鍵を握る。
◆佐々木慧（ささき・けい） 生徒。冷静で観察力が鋭い。事件を経て仲間を支える立場に。
◆中井奏太（なかい・そうた） 生徒。かつての出来事により早乙女に執着される。過去が事件の核心につながる。
◆パルナソス 教育用AI。生徒の行動・成績・感情を数値化し、教職員に通知していた。
第1章：教壇の銃声
朝のチャイムが鳴り響いた瞬間だった。都内の進学校・翠嶺高校の2年C組の教室で、乾いた破裂音が響いた。
「全員、席を立つな。これは授業だ」
教壇に立つのは、若きカリスマ教師・早乙女浩一。端正なスーツ姿のその手には、明らかに猟銃が握られていた。教室の窓には黒い遮蔽布が打ち付けられ、ドアは内側からロックされている。生徒の誰かがスマートフォンを取り出そうとした瞬間、早乙女は怒号をあげた。
「これは教育だ。SNSで晒すな。君たちの記憶に焼きつけろ」
その直後、校内の放送システムがハッキングされたかのようにジャックされ、別の教室にも一斉に緊急放送が流れる。
「選ばれなかった者に、最後の授業を。」
同時に、生徒会公式アカウントに意味深な動画が投稿された。動画には、黒板にチョークで書かれた文字が映る。
《僕たちの中に、正解はない。》
事件発生から3分後。警視庁へ非常通報が入り、爆発物所持の可能性を含む「人質監禁・教育機関封鎖事件」として、特別対応チームが編成された。
公安部は、早乙女浩一の過去に特異な思想傾向があった形跡を把握。AI刑事・K1と堀田刑事に、特殊任務として「内部潜入と事件制圧」が命じられる。
K1は教師用のIDカードを偽造し、堀田とともに臨時講師を装って校内へ潜入。
――だがその時、学校の構内システムが、AIによる自動制御に切り替えられた。
校内のすべての教室、廊下、職員室、屋上まで、ひとつのAIネットワークが監視と施錠を行っていた。その名は《パルナソス》――早乙女が独自に開発し、すでに一部の授業に導入されていた教育用AIである。
K1がその異常を察知した時、堀田がつぶやいた。
「これ、本当に“教師の暴走”なのか？ いや、もっと深い…何か仕組まれてる」
翌朝の新聞には、小さな見出しが載っていた。
《翠嶺高校、教師の暴挙？ 教育かテロか…都内に衝撃》
そしてその横に、赤いスプレーで書かれたような文字が。
《君たちは、何を学んだか？》
事件は、まだ幕開けに過ぎなかった。
第2章：黒板の奥に眠るもの
翠嶺高校に潜入したK1と堀田は、まず3階の資料室に案内される。表向きには“教育再編に関する記録調査”のためとされているが、目的はただひとつ。AI制御システム《パルナソス》のサーバーと、生徒の動線解析だ。
資料室には、生徒の評価データが蓄積されていた。AIによる「教育最適化」の名のもと、出席率、集中力スコア、発言頻度、教師からの評価が数値化されている。
「これは、教育じゃない。選別だ」 堀田が思わず呟く。
そんな中、一枚の黒板が目に入った。 一見、何も書かれていない。
だがK1が特殊光線を当てると、微かに文字が浮かび上がった。
《最も価値ある生徒は誰か？ それを決めるのはAIだ》
この痕跡から、K1はある仮説を立てる。早乙女はこのAIシステムを通じて、理想の教育社会を模索していたのではないか。だがその思想は、いつしか“支配”へと傾いていった。
放送室に近づこうとした二人に、突然一人の女生徒が駆け寄ってくる。
「先生が…早乙女先生が“最終授業”って言ってたんです。今日は誰かが消されるって…」
その直後、放送室からまたしても校内放送が流れる。
「君たちに、選択肢はある。だが正解は、一つではない」
まるで哲学のような、禅問答のような台詞。 だがそれは、何かの“トリガー”にも思えた。
K1は言う。「この言葉、どこかで…似た構文を“暗号通信”で使っていた事例がある。公安の旧記録だ。つまり、誰かが協力している」
早乙女は孤独なテロリストではない。校内のどこかに“協力者”がいる。
放課後の時間になっても、外への通信は遮断されたままだった。
夜の帳が校舎を包む中、生徒たちのスマホには不気味な通知が一斉に届いた。
《選ばれし10名は、教室7-Aに集まれ》
そしてその通知の下に、一枚の画像が添えられていた。
――そこには、血のように赤いチョークで描かれた“答案用紙”があった。
回答欄は、空白だった。
第3章：閉ざされた視線
教室7-Aに集まった生徒はちょうど10人。
男子5人、女子5人。成績も部活動も家庭環境もバラバラだ。
K1は監視カメラの死角に入りながら、生徒たちの動きを遠隔から観察していた。堀田は職員室を装って教職員ファイルを洗っている。
「10人の選定に、パターンがない…いや、待て」 K1の目が一点に止まった。
――全員が、かつて“ある教師”から過去に何らかの処分を受けた経験があった。
その教師の名は、早乙女浩一。
「つまり、早乙女は“落第生”を再教育しようとしている？」 堀田がうなる。
だがその中の一人、冴木杏奈（2年）がそっとメモ帳を開いた。
そこには、手書きでこう書かれていた。
《先生は、最初から壊れてた。笑うタイミングだけが上手だった》
その時、教室に仕掛けられたスピーカーから再び声が響く。
「きみたちは、かつて何を学んだ？ 正義か、従順か？」
生徒たちがざわつく中、男子生徒の一人・日下翔太が突然立ち上がる。
「俺、知ってる…先生が、昔ある生徒を…」
だがその言葉の途中、照明がすべて落ちた。
暗闇の中、誰かが叫ぶ。「だれかが…いない！」
確認すると、冴木杏奈が姿を消していた。
教室のドアは閉じたまま。
窓も鉄板でふさがれている。
K1が即座に構内監視を切り替える。
「7階の講堂に、熱反応1名。だが他の教室にも複数の影…」
堀田がつぶやいた。「この校舎、まるで“巨大な箱庭”じゃないか…」
同じ頃、SNSの匿名アカウントに新たな動画が投稿される。
映っていたのは、黒板の前で椅子に縛られた冴木杏奈だった。
《この中に、裏切者がいる。1時間後に開示される。》
学校の外では、報道陣と親たちの群れが詰めかけていた。
その中に混ざる一人の女。
橘佳乃――テレビ局社会部の記者。
彼女はすでに教師用の変装を整えていた。
「この校舎で、何かが始まってる。いや、もう始まってるんだよ…」
誰もがそれぞれの目的を胸に、巨大な“教育劇”の舞台へ足を踏み入れようとしていた。
第4章：教卓の裏に眠る名簿
講堂に移された冴木杏奈は、冷たい床に背を預けながら、静かに深呼吸を繰り返していた。
拘束は甘く、誰かが「意図的に縛り方をゆるめた」としか思えない。
その時、講堂の舞台幕がするすると上がった。
背後から現れたのは、教師ではなく、同じクラスの生徒・中井奏太だった。
「大丈夫か？ こっちから通路見つけた」
杏奈は言葉を失う。だがその瞳には、明確な疑念が浮かんでいた。
――なぜ、彼はここに入れたのか。
一方、K1と堀田は保健室の裏にある古い備品倉庫に足を踏み入れていた。
「ここだけ通信が不安定になる。AIが故意に遮断してる可能性がある」
K1が電子探査装置で床下をスキャンすると、一本の鉄製レールと巨大な収納ボックスを発見。
「これは…旧型の校内物資搬送用モノレールか？」
その収納ボックスの中には、一冊の黒いファイルがあった。
開くと、全校生徒の記録が手書きで綴られており、なかには10人の名に赤いマークがついていた。
「このリスト、誰が書いた？」
堀田がファイルの背表紙を見ると、旧字体でこう記されていた。
《翠嶺高校 生徒観察記録（非公開）》
さらに、教師早乙女浩一の名前の下に「起案者」として署名が。
「これは単なる暴走じゃない。計画的な“私的裁き”だ」
その頃、橘記者は校内の放送室へとたどり着いていた。
扉に書かれていた貼り紙。
《録音中につき、立入禁止》
だが室内は無人。
マイクスタンドの横には、真新しいSDカードが差し込まれていた。
橘が再生ボタンを押すと、音声が流れ出す。
「この国は、表面の数字だけで人を評価する。それが“教育”の名を借りた殺人だと気づけ」
それは、早乙女の声だった。
録音はまだ続いていた。
「選ばれた10人は、過去の小さな過ちを無視された者たち。だが私は、それを見逃さなかった」
橘は固唾をのんだ。
録音は最後にこう締めくくられていた。
「私は、裁く。教師として、最後の授業を行うために」
翌朝、匿名掲示板には新たな投稿があった。
《裁きの名簿、存在する。だが“最後の名前”は空欄だ》
誰もが凍りついた。
最後の名前――それは、まだ誰かが“選ばれる”という予告だった。
第5章：最後の席に座る者
中井奏太に導かれて講堂を脱出した冴木杏奈は、深夜の体育館に身を潜めていた。
中井の手には、学校の設計図のようなものが握られている。
「これ、図書室の旧校舎資料からコピーした。早乙女が生徒指導主任になる前の頃のだ」
杏奈が問いかける。「あなた、いつからこんな準備を…？」
中井は言葉を濁した。
「俺は……あいつに、期待されてた。でも、捨てられた」
杏奈が一歩後ずさる。
「もしかして、あなたが…」
そこへ扉の向こうから足音が響く。ふたりは即座に照明を落とし、声を潜めた。
現れたのは、教師ではなかった。
橘佳乃だった。
「生徒がこんな時間に、なんでこんなとこにいるの？」
橘の口調は軽いが、その目は鋭い。
「あなたが中井くんね。少し、話せる？」
その頃、K1は“裁きの名簿”のデータをAIパルナソスに解析させていた。
「このリスト、時系列に異常がある」
堀田がのぞき込む。「どういうことだ？」
「記録の順序と実際の事件の順序が逆転している。つまり――この名簿、“再編集”されてる」
堀田の背中に冷たい汗が伝った。
「誰がそんなことを…？」
K1はファイルの隅に記された、筆跡の異なるメモを指差した。
《補筆：川村》
川村孝志――副教頭。早乙女の長年の同僚であり、保護者会への対応などを一手に担っていた人物だ。
一方、匿名掲示板では別の情報が拡散していた。
《最後の席に座る者。それは観察者でもあり、証人でもある》
堀田は、その意味に気づいた。
「最後の名前…それは、名簿の空欄を埋める“役”じゃない。見届け人だ」
K1がうなずく。「真相が明かされるとき、そいつがこの“授業”を終わらせる鍵になる」
その夜、全校放送が再び流れる。
「最後の席が、今夜、満たされる」
生徒たちは凍りついた。
照明が一斉に落ち、プロジェクターが天井から降りる。
その画面には、笑顔の早乙女と、黒板にひとつの言葉が映し出されていた。
《卒業》
第6章：卒業という名の裁き
講堂に設置されたプロジェクターの光が、校内全域に転送された映像を映し出す。
そこには笑顔の早乙女浩一がいた。だが、その笑顔は以前のものとは違っていた。教室の前で穏やかに話す教師の顔ではない。何かを“決行”する者の顔だった。
「皆さん、おはようございます」
早乙女の声が教室内に響き渡る。「本日の授業は『卒業』です」
画面が切り替わる。そこには、生徒たち一人一人の名前と映像、そしてAI《パルナソス》が自動集計した生活・行動記録のスコアが映っていた。
「これは、私がAIを用いて観察してきた生徒たちの記録です。だが、このデータは教育ではなく、“社会に出すべきかどうか”を見極めるための材料でもある」
K1がつぶやく。「これが…彼の“選別”か」
画面の最後、赤く光るひとつのファイル。
《川村 孝志 – 補筆データ》
堀田が叫ぶ。「あの男、やはり関係してる！」
K1は即座に動く。「橘と冴木、そして中井を保護しろ。川村を確保する」
一方、校舎の屋上では、橘と冴木が中井を連れていた。
中井がつぶやく。「俺は、ただ……期待されたかっただけなんだ」
橘がその言葉に眉をひそめる。「期待されることと、誰かを裁くことは違う」
その時、校内放送が割り込まれた。
「卒業式は、最後の“裁き”をもって終了とします」
その瞬間、早乙女が保健室の地下倉庫に現れる。
手には、デバイスとリモコン。
「これは“評価装置”だ。私が構築した選別基準に合致しない者を、ここから排除する」
だが、その直前、K1が踏み込む。
「早乙女浩一、あなたの“授業”はここまでだ」
早乙女は一瞬動揺したが、すぐに口角を上げた。
「君たちは、何を学んだ？」
堀田が言い放つ。「それでも俺たちは、人を“選ばない”」
パルナソスが校内放送を奪還。
「最終記録をロック。全記録を本庁に転送開始」
早乙女はついに拘束される。
だがその瞬間、校舎裏の非常階段から、川村副教頭が逃走を開始していた。
そして、すべての黒板には一斉に映像が切り替わる。
映っていたのは、生徒たちがふざけ合う日常の風景。
そして、黒板にはこう表示されていた。
《あなたたちは、もう“卒業”していたのかもしれない》
第7章：告白の先にあるもの
早乙女浩一の身柄が拘束されたあとも、学校には不穏な空気が残っていた。
副教頭・川村孝志の逃走は、職員たちにとっても大きな衝撃だった。保護者や教育委員会との対応を一手に担い、温厚な中間管理職として知られていた川村――その正体が、AI名簿の補筆者だったとは。
橘佳乃は、地下の旧放送室で見つかったある映像ファイルを再生した。
そこには、川村がカメラに向かって語りかける姿。
「彼（早乙女）は正しかった。教育は“管理”だ。だが、彼には足りなかった。恐怖と制御、そこに快感があることを、彼は知らなかった」
橘は顔をしかめた。「これは、狂気だ……」
K1は、その映像から川村の潜伏先を特定した。
「旧教員寮の裏手。地下室がある」
堀田と共に突入したそこは、まるで監視者の隠れ家だった。壁一面に張り巡らされた学校の図面、AI行動記録、盗聴マイクのログ、そして“処分候補生”と記されたリスト。
川村はそこにいた。猟銃を構えて。
「近づくな。私を否定するな。私こそが、この“腐った”教育を浄化する者だ」
K1は、静かに前へ出た。
「あなたは、見ていた。だが“教えて”いなかった」
川村の銃口が揺れた。
「何……？」
「あなたは生徒を裁くつもりで観察していた。だが、生徒たちはあなたを見ていた」
その言葉と同時に、堀田が背後から飛びかかり、銃を叩き落とす。
川村はついに確保された。
学校に戻ったK1と堀田は、校内に残された“裁きの教室”の後片付けを手伝っていた。
その壁に、誰かがチョークで書いた文字が残されていた。
《私たちは、誰かを選ぶ前に、自分を知るべきだった》
それは、早乙女でも川村でもない、生徒の筆跡だった。
堀田が言う。「まだ、終わってないな」
K1がうなずく。「だが、ここからが本当の授業だ」
第8章：再生の鐘が鳴るとき
新学期の鐘が鳴る朝、かつて“監獄”だった教室には、新しい風が吹いていた。
学校は早乙女と川村の件を受けて、臨時休校と再編成を経て、ついに再開された。
だが、生徒たちの表情にはどこか確信があった。
「この学校は、もう違う」
そう語ったのは、かつて“選別リスト”に名前があった生徒の一人・佐々木慧。
校庭には記者会見が開かれ、AI刑事K1と堀田刑事が並ぶ。
橘記者はその模様を中継しながら、内心で自問する。
（教育とは何か？ 裁くことか、見守ることか）
K1は言った。「我々はAIの力を用いて、事件を追いました。ですが、最後に真実を見抜いたのは“人の目”でした」
堀田が付け加える。「教育ってのはよ、計算じゃねぇんだ。間違って、ぶつかって、学ぶもんだ」
橘はふと、冴木杏奈が学校に戻ってくるのを見つけた。
彼女はかつて、AI《パルナソス》によって“行動異常”と記録され、校内で孤立していた少女だ。
彼女は笑っていた。
（この笑顔が、再生の証なのかもしれない）
橘はカメラを向け、記すように言葉を残した。
「記者は、目撃者ではなく、記録者であるべきだと、私は思います」
その時、旧校舎の黒板に、誰かが書いた言葉が映し出される。
《人は、人を裁けない》
そして下にもう一行、
《だが、人は、人を救える》
静かな拍手が校庭に広がった。
AIは止まり、教室は再び始まる。
“卒業”という名の事件は終わり、新たな“授業”が始まる。
K1が去り際に、ふとつぶやいた。
「ここからが、ほんとうの教育だ」
【あとがき】
『裁きの教室』を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
教育、AI、そして“選別”。 これらは、現代社会において避けられぬテーマとなっています。 本作ではフィクションの形を取りながら、「管理する者」と「管理される者」の関係性に潜む暴力性、そしてその先にある“再生”の可能性を描こうとしました。
AIは正確です。だが、それだけでは「正義」にならない。 最後に未来を変えるのは、記録ではなく、記憶。
読者の皆様の心に、少しでも余韻が残れば幸いです。
――著者
コメント