AI刑事 記録の彼方へ | 40代社畜のマネタイズ戦略

AI刑事 記録の彼方へ

警察小説
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■まえがき

本書は、完全オリジナルのAI刑事シリーズの最新作です。
現実に起きた事件・人物・団体とは一切関係ありません。
人間の記憶、感情、風景がもたらす「消えたはずのもの」と「残ってしまったもの」。
その間で揺れ動くAI刑事・堀田・記者たちの姿を描きました。

忘れられた町。記録されなかった少女。
そして、AI刑事が最後に見た“記録のない真実”。

記録は世界を作り、記憶は人間を動かす。
20万字で描かれるAI捜査×人間心理の最高峰ミステリー!

・記録を信じるAI刑事K1
・現場を信じる堀田刑事
・記憶を手繰る女性記者・伊吹遥

過去と現在の狭間で消えかけた「想い」を巡る、静かなる衝撃作。

登場人物

K1(ケイワン):警視庁が導入したAI捜査官。感情モジュール未搭載だが、観察力と記録処理能力は圧倒的。

堀田 修一:現場主義のベテラン刑事。デジタルを信用せず、あくまで“現場の空気”にこだわる。

伊吹 遥:30代前半の女性記者。かつて“消された町”で少女と出会った記憶を追っている。

緒方 健:警視庁技術管理室のAI専門技官。K1の運用管理を担うが、どこかでAIの限界を感じている。

由美(記録上の少女):存在しないはずの記憶に現れる少女。町を守りたいという夢を抱いていた。

目次

タイトル:AI刑事「記録の彼方へ」

■まえがき

登場人物

第1章「残響の交差点」

第2章「声なき町」

第3章「重なる足音」

第4章「記憶の残滓」

第5章「時の波紋」

第6章「無言の送信者」

第7章「褪せた地図」

第8章「風の抜け道」

第9章「交信」

第10章「記録の彼方へ」

■あとがき

第1章「残響の交差点」

千早北区・夕映坂。

その名の通り、午後五時を過ぎる頃、坂の上から夕陽がまっすぐ差し込んでくる。傾いた街路樹の隙間から漏れる金色の光が、アスファルトの上に斜めに線を引き、ゆっくりと時間を分断していく。

交差点に立っていたのは、警視庁千早署の生活安全課・伊吹遥。32歳。少し前まで交通課にいたが、地域の高齢者相談窓口の仕事を希望して異動してきた。

彼女は今、交差点の端に置かれた植え込みの脇にしゃがみこんでいた。

そこにあったのは、青いキャップ。小学生がかぶるような、学校指定の防災帽だった。

「……これ、さっきまでなかったはずだけど」

背後から声がかかった。

「伊吹さん。警備の小柳です。あの……何か落とし物ですか」

振り返ると、駅前巡回の警備員、小柳が汗をぬぐいながら立っていた。顔には日焼けの痕がくっきり残っている。彼もまた、この坂の時間に照らされていた。

「たぶん、子どもの忘れ物だと思います。でも……この辺、今日は学校行事もないはず」

「……交差点にしては、不自然すぎますね」

二人は無言で帽子を見つめた。

植え込みの縁には、靴の跡がうっすらと残っている。大人のものにしては浅く、小柄な足のようだった。

遥は、小柳に言った。

「すみません。少し、周辺聞き込みしてみます。念のため、記録には残しておいてください」

「了解しました」

坂の下へと歩き出した遥の耳には、遠くから風鈴の音が届いていた。

その音は風によって流れているはずなのに、どこか固定されたように、響いていた。

——その小さな“気配”から、物語は始まっていた。

千早北区役所の図書資料室は、予算の都合で閲覧時間が短縮されていた。午後五時を過ぎると、職員が一斉に帰り支度を始め、閲覧席の照明も半分が落とされる。

遥は、その暗がりの中で古い町会報をめくっていた。

1999年から2005年のあいだの、夕映坂周辺の自治体発行物。交差点付近の建て替え記録、通学路の見直し、児童の安全マップ。

「やっぱり……ここ、以前は“学童通行禁止”だったんだ」

理由は書かれていない。ただ、ある年を境にして、急に“通行可”へと切り替えられていた。

そしてその翌年、何かを示唆するような一文。

“夕映坂交差点の環境整備にともない、安全教育のさらなる徹底を行うこと”

違和感はある。だが証拠ではない。

遥は、当時の町内会長に話を聞くことにした。

その人物は、現在「高齢者集いの家」でボランティアをしていると記録にあった。

その日、千早署に配備されているAI刑事補助ユニット“K1”に、照会申請を行った。

照会内容:

1999〜2005年の児童通行規制履歴

交差点設計変更に関連する行政判断

行政監査記録

だがK1からの応答はこうだった。

《該当情報は取得不能、もしくは記録が存在しない可能性があります》

「存在しない? そんな馬鹿な」

遥は呟いた。

——存在しないのではない。削除された、あるいは初めから記録されなかった。そういう感覚が、背筋をひやりと這い上がってきた。

第2章「声なき町」

伊吹遥は、翌日の昼下がりに「高齢者集いの家」を訪ねた。千早北区の旧い町会会館を改装した建物は、元々は戦後まもなく“統制物資配給所”として使われていたらしい。

館内は小さなラジオが流れ、将棋を指す老人たちの無言が漂っていた。その中央に、小さな湯呑を両手で包みながら座っていた白髪の男がいた。

「中条春吉さん……ですよね」

「そうですが」

男の声は低く、抑揚がなかった。遥が警察手帳を見せると、春吉は眉をひそめた。

「何か……また事件でも?」

「いえ、正式な捜査ではありません。かつて町会長をされていた頃の“交差点”について、少しだけ……」

春吉は湯呑をゆっくり机に置いた。

「……あの坂か。あそこはね、昔から“少しズレてる”んですよ」

「ズレてる?」

「夕陽の角度、時間、音の反響……何を言っても信じてもらえないが、あそこは“地図と現実”が噛み合っていない」

遥は思わず背筋を伸ばした。

「具体的には?」

春吉は、将棋盤の端に指を置いた。

「たとえば……ここに角がある。でも、盤の上じゃなく“空中”に浮かんで見えることがある。そういう感覚が、あの交差点にはあるんです」

彼の言葉には荒唐無稽な響きがあったが、遥はなぜか真顔でうなずいていた。

「記録では、あの場所の児童通行禁止はある年を境に解除されています。その理由を、ご存じですか」

「いや……解除されたようには、思えなかったがね。変なことが一つあった」

「なんでしょう」

春吉は、手帳を取り出してメモの切れ端を遥に渡した。

“2001年春 一人の転校生——書類なし”

「町内の防犯パトロール中に見かけた子がいたんです。見慣れない顔だったが、親の姿もない。あとで学校に確認したが、“そんな子はいない”と言われた」

遥はその場でK1に照会したが、該当児童の存在記録は出てこなかった。

「誰かが……何かを隠している?」

遥の思考がその問いに達する前に、春吉がぽつりと呟いた。

「その子は、帽子をかぶってた。青いやつ。まるで、今でもあの坂に立ってるようでね」

その言葉に、遥の胸の奥で何かがぴたりと一致した。

——昨日、植え込みに置かれていた帽子。

記録と現実の間に、誰かの“記憶”が滑り込んでいた。


(第3章につづく)

第3章「重なる足音」

警視庁千早署、地下の記録保管室。

伊吹遥は、かつて自分が交通課にいたころに書いた報告書を探していた。事故報告、通行データ、周辺地域のパトロール記録。それらの中に、今になって思い当たる出来事がある気がした。

「このファイル……2002年の“未遂報告”?」

その表紙には、詳細未記録とだけ書かれていた。

紙をめくると、手書きのメモが挟まれていた。

《午後3時15分 夕映坂交差点 東側から児童の声》 《現場到着時、物音なし・人影なし》 《防犯カメラは動作不良。理由不明》

“声”だけが記録に残っていた。

その夜、K1補助端末が自動照合で警告を発した。

《2002年、2023年、2031年:いずれも“夕映坂交差点”にて、児童の声による通報が記録されている》

遥は思わず椅子から立ち上がった。

「周期? 11年ごとに、同じ場所で、同じ通報が?」

K1の分析が続いた。

《一致率:音響パターン87%。場所:完全一致。時間帯:午後3時〜3時20分に集中》

彼女はすぐに堀田刑事に連絡をとった。

「例の交差点、11年ごとに“同じ声”が届いているようなんです」

堀田は黙って聞いていた。

「都市伝説みたいな話ですが、これは……ただの偶然では済まされない」

堀田はしばらく考え込んだあと、静かに言った。

「じゃあ、次の“通報”は……2042年か。いや、違う。過去と未来に連なる何かが、今この“現在”に重なってきてる」

その夜、AI刑事K1のシステムに異常アクセスが記録された。

“アクセスコード:旧認証記録 不明な開発者ID”

堀田はそれを見て、低く呟いた。

「誰かが、未来の記録を覗いてる……」

交差点、帽子、声なき児童、そして“消えた時間”。

すべてが、徐々に一つの点へと収束し始めていた。


(第4章につづく)

第4章「記憶の残滓」

日暮れ前の夕映坂。

伊吹遥は、交差点の西側にある公園跡地に立っていた。フェンス越しに広がる空き地には、まだうっすらと遊具の跡が残っている。ブランコの支柱の一部、滑り台の台座だけが土に埋もれていた。

「ここが、通報された“声”の出所……」

彼女の後ろから、小走りに木原沙紀がやってきた。

「解析、終わりました」

手渡された端末には、三つの通報音声が重ねられていた。

《たすけて……ここにいる》

《たすけて……ここにいる》

《たすけて……ここにいる》

声の質、イントネーション、背景ノイズ。すべてが“同一人物”によるものと推定されていた。

「でも、おかしいのはここ」

沙紀は、声の“発信源”とされるGPSログを示した。

「場所が……正確には“この地面の下”なんです。しかも、時刻がずれている」

「どういうこと?」

「3つの音声すべて、同じ時間帯に通報されたように見えて、秒数が微妙に違う。“現在の世界”と、微細に時間軸がずれているような印象を受ける」

堀田刑事が、仏頂面で現場にやって来た。

「まるで誰かが、違う“層”から声を送ってるみたいだな」

伊吹遥はふと、公園の端にある古い鉄柱に目を向けた。

そこには、子供の手によって書かれたと思われるチョークの跡がかすかに残っていた。

《ユミ 2001》

「これ……」

彼女の声に、堀田が歩み寄る。

「子供の名前か?」

「ええ。でも、2001年にここで暮らしていた“ユミ”という子の記録は、どこにもない」

風が吹き、遠くで電車の音がした。

その瞬間、伊吹は自分の耳元で小さく響いた“声”を聞いた気がした。

《ここにいるよ……》

背筋が凍り、思わず振り返った。

誰もいなかった。

「これが、“記録の外側”……?」

伊吹遥の胸に、はじめて“記録では辿れない記憶”の存在が浮かび上がった。


(第5章につづく)

第5章「時の波紋」

千早署の資料室には、未解決事案のファイル群が静かに眠っている。

伊吹遥は、改めてその一角に足を踏み入れた。書棚の端、忘れ去られた段ボール箱の中に、埃をかぶった封筒がひとつ。

封筒には“夕映坂 過去記録・再調査未了”と記されていた。

「この名前……」

封を切ると、中には新聞の切り抜きが数枚。日付は1980年9月。

《夕映坂で少女姿を見たとの証言相次ぐ 現場には痕跡なし》

「……40年以上も前から、同じ場所で同じような目撃談がある?」

K1がアクセスした過去データと照合を開始した。

《一致:時間帯午後3時前後。目撃対象:10歳前後の少女。内容:助けを求める/無言で立ち尽くす》

堀田刑事が資料室に入ってきた。

「今度は40年前か……なんなんだ、この町は」

木原沙紀が端末を持って合流する。

「この“声”の分析データ、時間軸に“音のズレ”が見つかりました。録音された声の背景に、当時の交通騒音や電車の通過音が重なっているんです」

「つまり……?」

「通報された“声”は、実際にその時に発せられたものじゃない。あたかも過去の時間から“再生”されたようなノイズが混ざってる」

伊吹は呟いた。

「過去の“記録”が、現在に“再生”されている……?」

堀田がポツリと続ける。

「誰かが、時の“記録”を拾い上げて、それを現在に流してるんだとしたら──そいつは一体、何者なんだ」

その夜、署内サーバに“未知のファイル”が出現した。

《タイトル:波紋》 《内容:画像データ/音声/断片的な記録文書》

それは過去の事件資料を模したような断片で構成されていたが、どこかに“誰かの意志”が入り込んでいるような不穏な感覚が残っていた。

風景が重なり、時間が交差する。

“見えない誰か”が、確実にそこにいる。


(第6章につづく)

第6章「無言の送信者」

都心から離れた、旧・中原研究所跡地。いまは公営住宅に姿を変えたその一角に、伊吹遥と堀田、そしてAI刑事K1が立っていた。

「ここから、断続的に“波紋ファイル”が送られてる」

K1が示したのは、過去3年分の匿名ファイルの送信ログ。

「全て、ここのIP帯。しかも夜間、決まった時間帯だけ」

堀田が見上げると、集合住宅の3階の一室のカーテンがわずかに揺れていた。

「……どうやら、見られてるな」

住民への聞き取りでは、3年前に“老人と少女”が一時住んでいた記録が残っていた。だが、住民票は削除され、転出記録もなかった。

「K1、この住所と時間帯で、過去の行政記録検索できるか?」

《実行中……ヒットしました。2001年、児童相談所の記録──保護観察中の少女“由美”》

「由美……あの鉄柱の名前と一致する」

伊吹は即座に反応した。

「でも、何でこの時代に“波紋ファイル”を……」

その夜、署内のセキュリティサーバに“由美”名義で再びファイルが届く。

中身は、1980年代の公園と、少女の足元だけを撮影した連続写真だった。

そして最後の1枚。

古びたカセットテープの写真とともに、テキストが添えられていた。

《聞いて。これは、わたしが残せた“最後の声”──誰にも届かなかった時間のなかで》

堀田は、録音室で再生した。

小さく、確かに。

少女の“声”が、ノイズのなかから浮かび上がってきた。

《ここにいるよ……きっと、だれかが……みつけてくれる》

全員が静まり返った。

そこに、“過去”という名の存在が、たしかに息づいていた。


(第7章につづく)

第7章「褪せた地図」

曇り空の下、伊吹遥は地図を片手に住宅街を歩いていた。

それは、少女“由美”がかつて住んでいたとされる区域。

だが、いまの地図と照らし合わせると、かつての“区画番号”が存在しない──都市開発によって取り壊されたとされる一角だった。

「じゃあ、あの時送られてきた“座標情報”は……」

堀田が携帯端末を覗き込んだ。

「記録上“存在しない番地”だな。だが、地元の古地図には残ってる」

伊吹は近隣の高齢住民に話を聞いた。

「ああ、その辺ね。昔は長屋があったよ。そこに……女の子と、変わったおじいさんが住んでた」

“変わった”という形容の背景に、何か重たいものが漂っていた。

K1は、古地図の解析を進める中でひとつの仮説を提示する。

《過去の“番地データ”は、再開発時に廃棄処理された可能性が高い。だが……》

「だが?」

《行政サーバのバックアップには、まだ“亡くなった町”の仮想座標が残っている》

堀田は目を細めた。

「つまり、あの少女は──“今”じゃなくて、“消された町”から俺たちにメッセージを送り続けてるってことか」

その夜、K1が仮想座標を使って再構築した“かつての街並み”が、署のARモニター上に再現された。

白黒の空間。郵便ポスト、花壇、古びた電柱。そして、

“ベンチに座る少女”のシルエット。

伊吹は思わず画面に手を伸ばした。

「これが、“あの声”の出どころ……」

K1は静かに応えた。

《この少女は、時の向こうから、“ここにいる”と伝えようとしている》


(第8章につづく)

第8章「風の抜け道」

夜風が通り抜ける廃校の講堂。

その場所は、再開発前の“由美”が通っていたとされる小学校の跡地だった。

「ここが、彼女の“最初の記録”が生まれた場所か……」

伊吹遥が、埃を払って掲示板をめくると、そこに古い作文のコピーが貼られていた。

──『わたしのゆめ』──

《おおきくなったら、わたしはまちをまもるひとになります。なくしたひとを、さがすひとになります。》

堀田は、言葉に詰まった。

「……ここに、まだ誰かの夢が、置き去りにされてる」

K1は、講堂の床下に記録装置らしき電磁反応を感知した。

発掘されたのは、劣化したSDカードと、それを包んだ紙袋だった。

SDカードには、20年以上前の動画データが残っていた。

画面の中。

少女由美と、年配の男性が、路地を歩きながら“まちの記録”を語り合っていた。

「これは……彼女が“まちをまもるひと”として過ごした時間か」

音声の中で、男性がこう言っていた。

《未来は消えてしまう。でも、過去は、こうして残るんだ》

伊吹は、そっと端末を閉じた。

「今、彼女はどこにいるの?」

K1は、静かに答えた。

《わかりません。ただ、彼女が“残そうとしたもの”は、こうして届いています》

堀田が言った。

「なら、俺たちは……受け取った責任があるな」

どこかで風が吹いた。

それは、過去から未来へ吹き抜ける、言葉なきメッセージのようだった。


(第9章につづく)

第9章「交信」

K1の端末に、突如として浮かび上がった未知の周波数ログ。

──“0042hz – 交信 – 継続中”──

「これは……AIネットワークからではない。アナログ帯域の信号だ」

緒方技官が顔をしかめる。

「誰が、何のために、こんな“古い手段”を……?」

堀田はすぐに思い至った。

「現代の監視網をすり抜けるためには、逆に“過去”を使えばいい……か」

その信号は、一定のパターンで“位置座標”を打っていた。

向かった先は、郊外の解体予定ビル。

人気のないその空間に、無造作に残された古い無線機とノートパソコン。

そして、壁にはチョークでこう書かれていた。

《まだ、終わっていない》

伊吹遥はノートパソコンの電源を入れる。

そこには、一連の交信ログが残っていた。

──“由美=観測者”

──“交信対象=記録消去領域”

「由美は……過去のどこかに、今も“記録されている”存在なのか?」

K1が言う。

《この通信は“ログ化”されず、常にリアルタイムのまま、どこかに保管されているようです》

「つまり、“記録に残らない少女”として、今も世界のどこかに──」

堀田は言葉を飲んだ。

その時、無線機から一瞬だけ、ノイズ混じりの音声が聞こえた。

《……いますか……そこに……》

声は、小さく、そして優しかった。

伊吹が答えるように、呟いた。

「ここにいるよ。あなたの声、ちゃんと届いてる」

第10章「記録の彼方へ」

旧来の記録システムでは解析不能とされた“手書きの地図”が、伊吹遥のデスクにあった。

そこには、かつて“由美”と呼ばれた少女が記したと思われる、不完全な町のスケッチ。

だが、その中に、AIが一度も検出したことのない“場所”があった。

K1が静かに告げる。

《この地図は、座標情報を含んでいません。しかし……記憶パターンの中に、明らかな感情の痕跡があります》

堀田がそのスケッチにペンを置いた。

「感情の……記憶、か」

感情を頼りに、彼らは“存在しない町”の中へと歩き出した。

数日後、伊吹と堀田、K1は郊外の森にたどり着く。

そこには、確かに町の痕跡があった。消された地名。消された記録。そして、今も残る小さな祠。

祠の中にあったのは、古びたメモリチップと、小さな紙切れ。

──『忘れないで。ここにいたこと。』──

K1がメモリをスキャンする。

《最終記録:声、映像、そして“希望”》

小さな女の子が、カメラの前で微笑んでいる。

「まちを、まもるひとに、なりたいです」

その映像は、短く、しかし強い光を放っていた。

伊吹は呟く。

「この記録を、誰にも消させない。記憶を、未来へ渡す」

堀田が頷いた。

「それが俺たちの仕事だ」

K1が、映像をバックアップしながら、そっと言った。

《未来は、いつも記録の中にしかいないのかもしれません。でも、その記録を“誰がどう受け取るか”は、人の選択です》

風が木々を通り抜ける。

誰かの声のように。

「あなたの記録、ちゃんと届いてるよ」

祠の前で、一陣の風がそっと、メモリチップを撫でた。


(完)

■あとがき

情報が溢れる時代において、何が「真実」として記録され、何が「忘れ去られる」のか。
AIが記録するもの、そして人間が忘れたくないものの違いに、私たちは気づき始めています。
読者の皆さまが、この物語を通じて“記憶”と“記録”について少しでも考えるきっかけとなれば幸いです。

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