AI刑事 婚活の罠
まえがき
「信じたかっただけなんです」──それは、多くの被害者が最後に口にした言葉でした。
この物語は、マッチングアプリという現代的な出会いの手段を悪用し、恋愛感情を道具として利用する詐欺グループに、AI刑事K1とその仲間たちが挑む、社会派ミステリーです。
感情を操作され、愛が搾取され、沈黙に追い込まれる。 その構造のどこに正義はあるのか? それを描きたくて、私はこの物語を綴りました。
登場人物
K1:警視庁サイバー対策課所属のAI刑事。論理と情理のバランスを保ちながら真実を追う。感情認識と行動予測のプロトタイプ。
香月舞:現場経験豊富な女性刑事。被害者と心を通わせながら事件に向き合う。
堀田誠:捜査一課の叩き上げ刑事。直感型で、人間くさい捜査を得意とする。
相原莉央:保育士の被害者女性。物語冒頭で詐欺に巻き込まれ、勇気を持って証言台に立つ。
斉藤拓馬:詐欺グループ実行犯の一人。罪悪感なく感情を操る。
田城圭介(仮):詐欺グループの主犯格。“感情資本主義”を掲げる冷徹な戦略家。
村井翔/野口明義:マッチングアプリ運営企業GlowDateの内部協力者。
庄司奈々:被害者支援NPO代表。香月と共に再発防止を目指す。
第1章:招かれた出会い
彼女は、ただ愛されることを望んでいた。
東京・西荻窪。2DKのアパートの一室で、保育士の相原莉央(28)は、スマートフォンに向けてそっと笑顔を作っていた。彼女の目の前には、マッチングアプリ「ユアメイト」でやりとりを重ねている男性──“DAIKI”のプロフィール画面があった。
《35歳・パイロット・趣味は読書とボルダリング》
「DAIKIさん、今夜もLINEくれた……忙しいのに、私のこと考えてくれてるんだ」
画面には、笑顔のスーツ姿。女性が好みそうな角度で撮られた“奇跡の一枚”だった。
莉央は自分の姿をスマホカメラで確認する。淡いメイク、きれいに巻いた髪、白いカーディガン。
──そろそろ、直接会ってみたい。
そんな思いが頭をよぎった。
1週間後、初めての対面は銀座のカフェだった。
DAIKIは予想以上に穏やかで優しかった。緊張する莉央に、「緊張してる? 無理しなくていいよ」と微笑んだ。
彼の手は温かく、言葉は柔らかかった。
「莉央ちゃんって、笑うと子どもみたいだね。守りたくなる」
莉央の心は、まるで凍っていた冬の池が春の陽に融かされていくようだった。
「僕、本当はモデル事務所とも仕事してて。莉央ちゃん、絶対いけると思うんだ。写真だけでも撮ってみない?」
それはさりげない誘いだった。
翌週、都内某所のスタジオ。
莉央は白いワンピース姿でカメラの前に立っていた。カメラマンは彼の“友人”という男性。撮影は終始穏やかに進んだ。
「莉央ちゃん、すごくきれいに撮れたよ。これ、ポートフォリオに使おう」
「え、ポートフォリオ?」
「うん。将来、CMとか企業モデルとか目指すなら、ちゃんと資料にしておいた方がいいんだ。費用は事務所が建て替えてくれるけど、形だけ名目上入金が必要で……」
「お金、いくらですか?」
「3万円くらい。でも、すぐ戻ってくるよ」
それが最初の送金だった。
翌月、撮影スタジオの“拡張撮影”という名目で10万円。
「契約料の名目だから、分割でもいいよ。莉央ちゃんの夢だからさ」
夢。パイロットの彼。モデルの自分。幸せな未来。
そう信じていた。
だが、それから2週間。
DAIKIは突然連絡を絶った。
アプリのプロフィールも、LINEも、すべて消えた。
莉央の銀行口座には、18万円分の支払い履歴だけが残っていた。
数日後、警察署の相談窓口で、莉央は小さく声を震わせながら話していた。
「……私、だまされたんでしょうか……?」
担当刑事がうなずいたとき、捜査支援端末に“あるAIユニット”の名が表示された。
《刑事補佐:K1/警視庁サイバー対策課》
被害者は、彼女一人ではなかった──。
第2章:勧誘の顔
港区六本木、雑居ビルの7階。
エレベーターを出ると、白い壁に「Risen Creative」と書かれた小さな銘板が光を反射していた。
その奥のフロアには、スタジオのような空間。背景紙、照明、白テーブル。そして、ノートPCに向かう数人の男たち。
その中の一人が“彼”だった──斉藤拓馬(29)。
偽名を多用する斉藤は、グループの中で「一次接触担当」と呼ばれていた。仕事は明確で、マッチングアプリに登録し、女性に接近し、好意と信用を得ること。
「昨日の莉央、良かったな。送金早かった」
隣の席では、もう一人の実行犯・“KENJI”が笑いながら言った。
「最近は医療系がアツいよ。心が弱ってるから、引っかかりやすい」
彼らにとって、恋愛はツールだった。プロフィール、顔写真、やりとり──すべてはマニュアルに沿った“脚本”だった。
この組織には明確な役割分担があった。
一次接触(SNS〜会話)
二次接触(実面談・誘導)
金銭管理(送金経路・振込指導)
画像管理(撮影・加工・販売)
ロンダリング(回収金の再分配)
そして、すべての上に“指示役”が存在した。
その名は「田城(たしろ)」──誰も本名を知らない。
LINEのアイコンは常に初期設定のまま。
ある日。
斉藤は、新たなターゲットを受け取った。
【新案件:KANA(仮名)】
27歳、都内大手企業勤務
過去にメンタルクリニック通院歴
ペットロス、孤独傾向あり
「ハンドルは“ユウト”で行け。医師設定、共感強めで」
田城からのメッセージ。
斉藤はスマホを開き、すぐにユウト名義でアプリにログイン。
『ご飯とか、ゆっくり話せると嬉しいな』
“共感”と“癒し”が最初のフックだった。
その先には、撮影、入金、関係、沈黙。
彼の良心は、もうどこにもなかった。
いや──最初から無かったのかもしれない。
だが、この日。
警視庁サイバー課のK1が、斉藤の“通信パターン”に注目していたことを、彼は知る由もなかった。
“文体、入力タイミング、対話ループ構成──過去の被害者12人と一致”
K1の分析デバイスに、淡く赤い警告灯が点滅する。
第3章:消される足跡
渋谷区広尾、ガラス張りのオフィスビル最上階──
マッチングアプリ「ユアメイト」を運営するスタートアップ企業、GlowDate株式会社の本社には、観葉植物と黒いスーツ姿の若者たちがあふれていた。
その一角。広報兼法務の村井翔(31)は、ひとつのクレーム対応に頭を抱えていた。
「この方、また“既婚者と知らずに交際していた”と……。運営に責任はないと思いますが」
「すぐ報告削除、ブロック処理。トラブル窓口にはテンプレで」
背後からCTOの野口が指示を飛ばす。
GlowDateは、月間アクティブユーザー数100万人超を誇る日本最大級の恋活・婚活アプリ。
だが、実態は“自己責任型サービス”として、運営がトラブルを深掘りすることはなかった。
「身分証登録はしてますが、独身証明までは……」
村井は内部チャットに入力し、管理画面から通報ユーザーのログを開く。
通報対象の男性ユーザー。
ハンドル名:DAIKI、ユウト、NAO──3つの異なる名前、異なる写真。
だが、送信時刻・言葉遣い・テンプレ文面──それらは高度に一致していた。
「これ、ボットか……いや、人間か?」
疑問が頭をよぎる。
それでも、村井は上長の指示通り、アカウントを“運営上の都合により削除”と処理した。
その夜、GlowDateのサーバーログに不審なアクセスが走った。
アクセス元:警視庁・サイバー対策課(AI支援捜査ユニット)
対象データ:
通報履歴(過去90日)
IPアドレス群
LINE連携ユーザーの登録端末情報
村井はAI捜査官・K1の名を初めて知った。
《要照会:マッチングアプリ被害事案の関連通信記録》
翌朝、役員会議室で緊急ミーティングが開かれた。
「GlowDateはプラットフォームです。個別のユーザー間の詐欺に、我々が責任を負う筋合いはない」
CEOの黒瀬が言い切ると、役員たちは沈黙した。
村井はその中で、ふと昨夜確認した一文が脳裏をよぎった。
《“詐欺師に情報を与える装置になっている”──ユーザー投稿》
「……私たちは、本当に“何も知らなかった”と言い切れるのか」
一方その頃。
警視庁では、AI刑事K1がGlowDateの協力を得て、“複数アカウントの類似行動パターン”を統合解析。
照合数28件。全員が被害者。金銭被害総額は、計670万円に達していた。
K1は静かに言った。
「被害は、個人の恋ではない。これは、社会的搾取だ」
第4章:蜘蛛の巣の設計図
豊島区・雑居ビルの地下、外階段を下りた先にある無人のオフィス。そこが、詐欺組織の中枢だった。
机も椅子も最低限。壁にはホワイトボードがあり、被害者の年齢層別マッピング、月次の送金件数、返金クレーム対応率など、異様な数値が並んでいた。
その前に立つ男──田城圭介(仮名・年齢不詳)。この組織を統括する“主犯格”だった。
「感情は、最大の流通資源だ。利用されたい者には、幻想を。疑う者には沈黙を」
彼は元IT系ベンチャーの役員。リストラを機に、データ解析と広告心理学を応用した“情弱マーケティング”に傾倒していった。
田城の手口は、緻密だった。
アプリ運営企業との“非公式広告枠”買収(被害者誘導)
SNSスカウト&外部LP(ランディングページ)連携
架空モデル事務所名義の契約書PDF生成
個人情報の外部転売ルート(中華系データ業者)
回収金のビットコイン変換&海外送金
組織はすでに、東京・名古屋・福岡に“誘導要員”を配置。
田城は言う。
「これはもう詐欺ではない。“感情資本主義”の最前線だ」
その頃、K1はサイバー課の通信監視端末で、GlowDateのデータベースと複数の暗号化チャットアプリをクロス解析していた。
「田城圭介。実名不明、旧LinkedIn情報より“田嶋圭一”の可能性あり。職歴・文体パターン・過去の広告記事から照合精度92.4%」
堀田刑事が低く唸る。
「広告畑で情を売ってたヤツが、今は女の恋心で金儲けか。最低だな」
香月は言った。
「ここまで緻密だと、被害者だけじゃなく、社会そのものを試されてる気がする」
その晩、田城は新たな指令を出していた。
「次は、投資型恋愛だ。被害者に“稼がせてやる”と近づき、仮想通貨ウォレットを持たせる。管理はグループ側」
「金と愛を重ねれば、絶対に逃げられない」
斉藤ら現場要員が黙って頷く。
そのやり取り全体が、K1の収集装置に録音・記録されているとは知らずに──
第5章:沈黙する証言
東京都内の法律事務所、面談室──
弁護士・今村和佳の前で、ひとりの女性が涙をこらえて座っていた。
名前は、遠藤優菜(仮名・33)。
彼女は、マッチングアプリで出会った“独身起業家”と名乗る男と3か月交際し、妊娠、出産、そしてすべてを失った被害者だった。
「……彼は、“必ず結婚する”って言ってくれて。でも、妊娠を伝えた瞬間、音信不通になりました」
彼女はその後、ひとりで出産。
休職中に、会社から契約終了の通知。
「慰謝料? 請求する余裕なんてなかった。育児、貯金ゼロ、両親との関係も悪くて……」
今村弁護士は頷き、静かに録音を止めた。
「この記録は、警視庁のAI刑事チームに提供されます。匿名証言として、再発防止のために活かされます」
一方、被害者支援NPO「Lien Tokyo」では、類似事案の相談が続いていた。
・既婚者の身分を偽って交際し、性関係に発展した後に失踪 ・家族写真を持ち込まれ、「妻とは別居中」と信じ込まされた被害 ・「事務所から撮影費を立て替えて」と20万の送金をした後に音信不通
いずれも泣き寝入りしていた。
NPO代表の庄司奈々は、香月舞刑事に言った。
「被害者の中には、“自分が騙されたことを認めたくない”という人も多いんです。証言を拒み、沈黙する。それが最大の防壁になっている」
香月は書類を見つめ、呟いた。
「沈黙もまた、加害者の武器になる……」
その頃、K1は被害者の証言データベースにアクセスしていた。
「共通点:感情の揺らぎを狙ったアプローチ。“寂しさ”に対する感度の高いユーザー」
AIはそれを“心理的盲点マップ”として可視化。
ペットロス
離婚・別居歴
職場内孤立
K1の中で、詐欺が“スキル”ではなく“戦略”として成立している構図が浮かび上がる。
警視庁本庁・広報会見室。
香月舞はマスコミ向けに声明を読み上げていた。
「現在、マッチングアプリを悪用した一連の詐欺行為に関して、警察は捜査を拡大しています。被害者の方は、匿名でも構いません。どうか声を届けてください」
その言葉が、テレビやSNSで広まったとき──
ある一通の手紙が警視庁に届く。
封筒の差出人欄には何も書かれていなかった。
だが、そこに同封されていたUSBには、組織の“金の流れ”を示す帳簿データと、田城の声と思われる音声ファイルが入っていた。
第6章:仮想と現実の裂け目
1月下旬、警視庁サイバー対策課。
AI刑事K1の前に置かれたのは、匿名で届いたUSB。中には帳簿データと一つの音声ファイルが含まれていた。
《…この手口で月300万は回収できる。地方はまだ掘り尽くされてない。広告は“夢と恋”、キーワードは“孤独と承認”だ…》
聞き覚えのある抑揚。
K1は音声解析を走らせた。
「声紋一致率93.8%。田城圭介(仮名)」
さらに帳簿データには、送金元の名義と口座番号、受取先に指定された仮想通貨アドレスが多数記録されていた。
香月舞はそのリストを見て息を呑んだ。
「被害者の名義でウォレットを開設させて、本人の知らない間に運用……いえ、資金移動させていた?」
斉藤拓馬は、別の拠点で“新しい仕事”に取り組んでいた。
「ユアコインっていうの作ったらしいよ。実態はないけど、恋愛系NFTと組み合わせて『絆の証』ってことで売る」
彼の隣には、ネット広告会社のフリーランスが座っていた。
「AI生成の恋愛詩に、架空の美女アイコンと『恋愛保証コード』つけて、月額3,000円のサブスクに誘導──これでだいぶ取れる」
「もはや詐欺じゃなくてビジネス、だな」
香月とK1は、金融庁・消費者庁との合同対策会議に出席。
提示されたのは、仮想通貨・恋愛詐欺・マッチングアプリの“複合的詐欺スキーム”の図解。
出会い(SNS)
恋愛関係構築(偽装)
投資勧誘(暗号資産)
ウォレット管理(被害者名義)
出金は海外経由
K1は言った。
「詐欺師たちは、恋と金融の間に“信頼”という仮想通貨を作り出している。だが、それは常に一方的に奪われる」
香月は小さく頷いた。
「これはもう、“感情取引”を装った人身売買です」
その夜、再び警視庁にUSBが届いた。
今度は差出人名があった。
《元・ユアメイト運営社員 木下大輝(仮名)》
中には、GlowDateと田城グループの非公開広告枠契約書、売上報告書、匿名での出金指示書など、決定的な証拠群が保存されていた。
堀田刑事が呟いた。
「これで、あいつらを“現実”に引きずり出せるな」
第7章:正義の座標
2月初旬、警視庁捜査一課会議室。
捜査員、検察官、金融庁の特別監査官、そしてAI刑事K1が集結していた。中央には大型スクリーン。その画面に表示されたのは、GlowDateと田城グループの“接続点”だった。
非公開広告枠購入契約書
管理ログ:社内IDによる閲覧履歴
ウォレット開設マニュアル
被害者とのメッセージ履歴と送金証跡
香月舞は言った。
「完全に組織ぐるみです。“運営は知らなかった”は通用しません」
K1は証拠を時系列で重ね、詐欺の全体像を立体モデル化。
出会い→誘導→金銭移動→データ削除→再構築
この“ループ構造”は、複数の実行犯が分担し、月次でテンプレートが更新されていた。
「これは自動生成と人間操作のハイブリッド詐欺。予測を超える速さと柔軟さで変化している」
堀田が顔をしかめた。
「まるで詐欺のSaaSだな……誰でも“恋愛詐欺屋”になれる時代ってわけか」
午後、都内某所。
被害者の一人、OLの立花瑞希(仮名・31)は、初めて警察に出向いていた。
彼女は2か月前、DAIKIと名乗る男に5回の送金をし、その後に音信不通となった。
「恥ずかしくて誰にも言えませんでした。好きだったんです、でも……」
香月は優しく資料を見せながら言った。
「あなたの証言が、他の人の被害を防ぎます。ここからが“あなたの正義”です」
K1は、匿名提供された“資金移動台帳”から、仮想通貨経由で資金が流れた先を割り出していた。
「最終出金先は、東欧の暗号取引所──名義:KEYSHIRO」
田城圭介の旧名義に酷似。
国際刑事警察機構(ICPO)との連携が動き出す。
その夜。
K1は警視庁のデータセンターに戻り、仮想空間の中で“座標”を定義していた。
「正義とは、常に揺らぐものだ。だが、誰かがそれを定めなければ、世界は欺瞞の中に沈む」
第8章:可視化される嘘
警視庁広報室。
香月舞は、捜査進展を公表する記者会見に臨んでいた。会見のテーマは「マッチングアプリに関連した詐欺被害の拡大と捜査の現状」。
「現在、確認されている被害者は、20代〜50代の女性を中心に63名。被害総額は、仮想通貨を含めて約2,100万円にのぼります」
質疑応答の場では、記者たちの質問が飛び交った。
「被害者の中には性的被害も含まれるのでは?」「GlowDate社の責任は?」
香月は言葉を選びながら答えた。
「捜査上、詳細は控えますが、既に関連する証拠と供述が集まりつつあります。企業側の責任についても、刑事・民事の両面で検討中です」
その頃、SNS上ではK1が発信した“被害可視化マップ”が拡散されていた。
被害地域:全国17都道府県
詐欺パターン:恋愛→撮影→送金/恋愛→投資→仮想通貨→ロスト
被害者属性:未婚・単身・職場で孤立・SNS利用頻度高
メディアも「見えない暴力」「愛を利用した搾取」として特集を組み、社会的注目が一気に高まっていた。
K1は捜査端末で、田城グループの“送金テンプレート指示文”を解読していた。
「君のことを思ってするお願いなんだ」 「信じてくれたら、必ず返す」 「君とずっと一緒にいたい」
K1の画面には、赤と青の交互に点滅する警告。
「感情言語アルゴリズムにより、洗脳スクリプト検出。実行数:21件」
堀田がそれを覗き込みながら言う。
「完全にマニュアル化されてやがる……言葉が“罠”なんだな」
一方、被害者支援団体Lien Tokyoでは、再発防止のための勉強会が開催されていた。
参加者は若い女性だけでなく、教育関係者、行政職員も。
「“愛されたい”は当然の感情です。でも、そこに“証明”を求められたとき、立ち止まってください」
代表の庄司奈々がそう語ると、香月も後方でうなずいた。
「加害者に“愛されてる気がする”という錯覚を与えられたまま、社会から忘れられる。そんな被害は、もう終わらせたい」
その夜、K1の端末にアラートが届く。
“GlowDate社役員:野口明義、自主的に出頭。供述開始。”
K1は、分析ウィンドウを開きながら言った。
「嘘が可視化されたとき、それは初めて“証拠”となる」
第9章:壊れる幻想
2月末日、東京地検特捜部。
出頭してきたGlowDate社役員・野口明義(35)は、捜査官の前で淡々と語り始めた。
「GlowDateの広告枠については、社内で“黙認”というかたちで田城グループに販売していました。上層部には……暗黙の了解がありました」
「売上の1割は“広告調整費”として、役員会計に流れていました」
その供述により、社内外の関係者7名に事情聴取が行われ、うち3名が正式に書類送検された。
K1は、特捜部に提出された供述記録をAI解析にかけていた。
「虚偽の供述、記憶の改変、責任の分散傾向あり。だが、田城に繋がる会話ログと転送記録は“実行可能性”を示している」
堀田が呟く。
「こいつら、ずっと“自分は関係ない”って幻想にすがってたんだな」
香月は静かに言った。
「その幻想の代償を、ずっと被害者が払ってた……」
同日夜、メディアは「GlowDate社、詐欺幇助の疑いで複数名送検」と速報を出した。
SNSでは元ユーザーたちが声を上げ始める。
「私も“彼”に会ったことある」「誘われて撮影に行きかけた」「LINEが突然消えた」
全国の警察署に通報が殺到。1日で新たに32件の被害報告が寄せられた。
田城圭介(仮名)は、そのニュースを東南アジアのコワーキングスペースで見ていた。
顔色は変わらない。
「壊れる時は、ゆっくりだと思ってたよ。けど……早かったな」
彼の隣では、斉藤拓馬が焦った表情でスマホを操作していた。
「さっきからアカウント全部凍結されてます。仮想通貨も止められて……」
「いいか、逃げ道はまだある。俺たちは“顔”を出してない。まだ“データ上の亡霊”でいられる」
だが、その言葉と同時に、K1の解析画面に警告が表示された。
《マネーロンダリング経路遮断完了》 《東南アジア取引所との連携照会/ICPO協力済》
香月がK1に訊く。
「……本当に、捕まえられるの?」
K1は答えた。
「幻想が壊れたとき、初めて“現実”が始まる」
第10章:誰が沈黙を破るのか
3月中旬、都内某所。
田城圭介(仮名)は、身を隠していたシェアオフィスから出ようとしていた。だが、その瞬間、玄関前に数人の私服警官が立ちはだかった。
「田城圭介──金融商品取引法違反および詐欺容疑で逮捕します」
田城は、抵抗もせず、笑った。
「やっと俺に“顔”を与えるのか。ようやく“実在”になるわけだ」
その報道は、翌日すべてのニュース番組のトップを飾った。
『マッチングアプリ詐欺グループ主犯格、海外で身柄確保』
SNSでは被害者たちの投稿が相次ぎ、支援団体にはメディアからの取材依頼が殺到。
GlowDateは、被害者に対する補償基金の設立を発表。社長が記者会見で頭を下げた。
「私たちは、“知らなかった”という責任逃れを二度と繰り返さないと誓います」
裁判は、東京地裁で始まった。
証言台には、相原莉央の姿。
「私は……恋をしていたんじゃない。“信じたかった”だけでした」
香月舞はその姿を見守りながら、K1に言った。
「人は、愛を求める生き物。でも、そこにあるのが罠だったら、どうやって防げばいいの?」
K1は答えた。
「防ぐ手段は、知識と連帯。そして、誰かが沈黙を破ること。それだけです」
その後、全国各地で勉強会と啓発プログラムが立ち上がった。
学校の性教育カリキュラムに“感情搾取”の理解を導入
アプリ会社への法的義務化検討
被害者支援NPOのネットワーク強化
社会は、少しずつだが、変わり始めていた。
春のある日。
K1は、警視庁の屋上に立っていた。眼下には、交差点を行き交う人々の姿。
その傍らには香月がいた。
「K1……もしまた、誰かが同じように“沈黙”に追い込まれたら、あなたはまた動く?」
K1は少しだけ首を傾けた。
「私は、正義を自動化しない。ただ、人がそれを選ぶとき、共に在りたい」
香月は微笑んだ。
「それで充分よ。だって、それが“信じる”ってことだもの」
──完──
あとがき
“愛されたい”は人間の本能です。 しかし、それを利用する者たちが、スマホの画面越しにあなたを狙っている──それが今の社会です。
この物語のなかで、AI刑事K1は言います。 「私は、正義を自動化しない。ただ、人がそれを選ぶとき、共に在りたい」
テクノロジーと人間、理性と感情、正義と欺瞞。 その境界線に立つ者たちの戦いを、少しでも読者のみなさんの胸に届けられたなら幸いです。
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