崩れた上場計画
東京・永田町の片隅にある小さな記者クラブで、経済記者・神谷ひとみはひとつの違和感に立ち止まっていた。韓国の大手エンターテインメント企業「HYK(ヒュク)」が日本市場に上場を計画しているという情報が、一部投資家の間で先行して広まっていたのだ。だが、同社の公式見解では「上場の予定はない」と明言されていた。
HYKは、K-POPを牽引するアーティストを多数擁し、急成長を遂げている企業だった。その創業者であり現会長の篠原龍一は、かつて経営破綻寸前の芸能事務所を再建し、一代で世界的企業へと押し上げたカリスマ経営者である。
ところが、HYKをめぐる不可解な動きが相次いでいた。
東京証券取引所の上層部で囁かれる一つの噂──HYKは、未公開株を通じて一部の投資家に利益を還元し、組織内で巨額のキャピタルゲインを得ていた。
「篠原会長は“上場しない”と語ったのに、なぜPEファンドを経由して株を放出していたのか?」
記者の神谷ひとみは、HYKの元社員から受け取った機密資料の解析を進めていた。そこには「プロジェクト・シレン」というコードネームの社内ファイルが記されていた。
──PEF(私募ファンド)との持ち分契約 ──未公開株の譲渡契約書の一部抜粋 ──国内外の複数取引所における時系列データ
彼女はすぐさまAI刑事・K1に接触し、データの解析を依頼。K1の演算アルゴリズムによって、資料に潜むパターンが浮かび上がる。
「これは……複数のファンドを使って利益を分散させる仕組みだ」
そこへ新たな証言者が現れる。HYKの元・法務部長、倉科重人。
「私は命令通りに“目論見書には書くな”と言われました」
倉科が示した契約文書の隅には、手書きで“Ryu1”という署名が走っていた。篠原龍一の通称だった。
AI刑事は、HYKの裏帳簿とされる“O:Project”というコードネームのクラウドサーバに潜入する計画を立てる。彼の協力者、堀田刑事もまた水面下で証券取引等監視委員会と連携を取り始めていた。
その夜、神谷は自宅でパソコンを開くと、匿名の送信者から一通のメッセージが届いていた。
> 「HYKは、ただの氷山の一角にすぎない。もっと深い“グローバル・ファンドネットワーク”が動いている」
AI刑事K1は、HYK関連の資金が一部、カリブ海のタックスヘイブンを経由し、ヨーロッパの仮想通貨口座に流れていた痕跡を突き止める。その名義は、ある意外な日本人名だった。
「まさか……」
同時に、HYK社内では不審火が発生し、データセンターの一部が焼失。証拠隠滅を図った可能性が高い。
K1は言う。「これは“証券取引”の問題ではない。情報戦争だ」
そして、ひとみの元に再び届く一通の封筒。中には、HYK創業以前の「プロジェクトZero」に関する記録映像──そこには、若き篠原龍一と、もう一人の“起業家”の姿が……。
「この人……どこかで……」
ひとみの手が止まる。カメラの奥に写るもう一人の顔に、記憶がざわついた。
物語は、世界をまたぎ、新たな局面へと進む。
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(次章:第2章「目論見書の裏側」前編へ続く)
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