まえがき
かつて、記録されなかった出来事があった。
それは、誰かの意図によるものだったのか。
それとも、ただの偶然だったのか。
この物語は、「記録すること」と「記録しないこと」が、
どれほど人間の尊厳と関係しているのかを、AI刑事K1の視点で描いていきます。
記録とは、正義か、暴力か。
そして人間は、その記録に何を託すのか——
【登場人物一覧】
AI刑事 K1(ケーワン)
次世代型の記録AIを内蔵した刑事支援端末。自律判断型で、人間の倫理感覚にも踏み込んで“記録すべきか否か”を自ら選ぶプログラムを搭載。
堀田 巧(ほった たくみ)
警視庁捜査一課の刑事。古き良き刑事魂を残しつつ、AIとの協働に唯一心を開く存在。温厚だが芯は極めて硬い。
真壁 美咲(まかべ みさき)
報道記者。かつて“記録されなかった出来事”に個人的な関わりがあり、取材を通して真実と倫理の境界線を探る。
“彼女”/蓮見優子(はすみ ゆうこ)
16年前に忽然と姿を消した存在。記録上では“存在していない”が、複数の痕跡が彼女の存在を浮かび上がらせていく。
目次
第1章「沈黙の再訪」
春の雨が静かに降る警視庁広報課のフロア。かつて捜査一課で数々の現場を踏んだ堀田正隆は、古びた革靴を脱ぐような仕草で椅子に腰を下ろした。着任して三カ月。机の上には、各社から届いた照会文書が山のように積まれている。
「16年前の事件について、関係者からの申し入れがあったそうです」
声をかけたのは、若手記者・中原美咲だった。報道部から出向してきた彼女は、警察組織とメディアの間にある“壁”を肌で感じながらも、誠実に仕事をこなしていた。
「どうして今になって?」
堀田の声には、わずかな苛立ちと戸惑いが混ざっていた。16年前の事件——それは、AIによる捜査が本格導入される直前の未解決案件だった。
関係者は当時高校生だった女性。だがその所在は最後まで確認されず、事件は“経過観察”として棚上げになっていた。
堀田はファイルをめくった。だが、ページが途中で抜け落ちている。AI記録化の前に作成された紙媒体の捜査報告書。その最終ページに、本来あるべき“結論”が記載されていなかった。
「……これじゃ、記録に穴が空いてる」
堀田の言葉に、美咲が小さくうなずいた。
「AI捜査官・K1が来ています。ご指示を」
AI刑事K1——記録と推論の鬼才として知られる存在。人間以上に冷静に、記録から真実を掘り起こす。
「K1です。該当事件ファイルの再解析を希望します」
感情のない合成音声がフロアに響いた瞬間、堀田は肩をすくめた。
「AIが過去の記録をどう見るか、見ものだな」
そのとき、照会をしてきた記者の名前に、堀田は見覚えがあった。
——蓮見優子。
事件当時、現場に最初に駆けつけた記者の一人。現在は地方紙の編集部に異動していたはずだ。
K1は静かに言った。
「この事件には、“記録されていない沈黙”があります」
「沈黙だと?」
「音声記録が数十秒間、物理的に空白になっています。編集、消去、故意の操作。いずれも記録なし。極めて不自然です」
堀田は目を細め、16年前の現場に思いを馳せた。
「記録がすべてを語るわけじゃねえ。語られなかったことが、事件の本質を隠してるんだ」
K1がまた一言、告げた。
「その沈黙の時間に、あなたの声が一度だけ検出されています、堀田刑事」
フロアが静まり返った。16年前、誰が何を隠したのか。そして、なぜ今、再びその沈黙が呼び起こされたのか——。
捜査の幕が、再び上がろうとしていた。
第2章「音のない証言」
その週の月曜、堀田とK1は事件当時の記録倉庫にいた。記録とは名ばかりの、半ば忘れられたダンボールの山。16年前、デジタル化される前の最終端末から取り出された音声ファイルが再生される。
——ざっ……ざっ……
雑音の合間に、何かを押し殺すような呼吸音。
「AIでのノイズ除去は無理か?」
「音声源の不確定性が高く、再構成には生体認識が必要です」
K1はそう答えるが、堀田には別の意図が見え隠れしていた。
「お前、何か知ってるな」
「私の推論では、このノイズは人為的に挿入された痕跡です。しかもそれは、記録保全課の職員コードを使って行われていました」
つまり、内部から何かが隠された。
同時に、美咲は都内の小さな書店で蓮見優子に再会していた。
「……また、掘り返してるのね」
「記録って、何かを守るものだと思ってたんです。でも、逆に何かを消すためにも使われている気がして」
蓮見はしばらく沈黙したあと、ポケットから一枚のメモを差し出した。
「この名前、聞いたことある?」
そこには、16年前の調査に一度だけ現れた、ある女子生徒の名前があった。
「記録には何も残ってない。でもね……あの子が最後にいた場所、私は覚えてる」
堀田とK1もまた、その名前にたどり着いていた。
「彼女は“匿名の証言”として、一度だけ情報提供をしている。だが、その記録だけがデータベースから消失している」
堀田は呟いた。
「名前のない証言。記録されなかった声。——それを探す旅だな、今回は」
そしてK1が最後に言った。
「記録の空白は、過去の沈黙だけではありません。今も、誰かがその続きを書こうとしています」
第3章「消された座標」
堀田とK1は都内某所の公立高校へ向かった。
蓮見から受け取ったメモに記されていたのは、その学校の旧図書室の位置情報だった。現在は倉庫として使われており、生徒の立ち入りは禁止されている。
「AIには、この座標は登録されていません。建築図面の改訂が未反映のままです」
K1の言葉に、堀田が薄く笑う。
「記録ってのは、いつだって現実に追いついてないもんだな」
倉庫の片隅、段ボール箱に紛れて古い録音機材が眠っていた。手書きのラベルには「3-A/放送室」とある。
K1が記録波長をスキャンする。
「このテープは、AI捜査導入以前のアナログ記録。磁気痕跡が残されています」
テープの再生と同時に、淡い声が流れた。
《この声が、届くかわからない。でも、聞いてくれた人がいるなら——ありがとう》
堀田が目を閉じる。音の主は、かつて“所在不明”とされた少女のものであった可能性が高い。
K1が小さく発話する。
「この音声記録は、公式記録に存在しません。記録番号も、出所も未登録」
「つまり、“ここにいた”という証拠すら、なかったことにされてたってことか」
「そう。だが、ここには確かに“存在の痕跡”が残っていた」
記者・中原美咲は、編集部に戻ると蓮見の過去の記事を洗い直していた。
「……あった。この記事、発行されてない」
発行直前に編集部の判断で止められた紙面データ。そこには、あの少女に関する証言がいくつも記されていた。
その情報を、美咲は堀田に届ける。
「私たちは、何かの“座標”をずらされたまま事件を見てたんです」
堀田は、その言葉を噛みしめながら言う。
「場所が違えば、記録も消える。そういう仕組みだったんだ」
K1が最後に付け加える。
「この座標のズレは、記録上の瑕疵ではなく、意図された可能性があります」
その言葉が、操作された過去の存在を物語っていた。
——真実は、最初から違う場所にあったのだ。
第4章「交信されなかった未来」
梅雨空が灰色にけぶる中、都内のとある文化会館で記録保全官の内々の会合が開かれていた。
堀田とK1は、公安部の古参技官・大野の紹介でそこに顔を出す。
「記録はすべてを残すわけじゃない。残す“べきもの”を選ぶんだ」
大野の言葉に、K1が応答する。
「選ばれなかった記録が、未来に影響を与える場合は?」
「それでも、当時はそう判断したってことだよ」
堀田がその会話を聞きながら、小さく呟いた。
「未来は“交信の断絶”によって、変わってしまう……か」
その帰り道、K1が突如足を止めた。
「異常検知。過去の事件記録ファイルに、新たなログが追加されました」
「誰が?」
「記録者不明。アクセス認証も存在しません。だが、そこには——未来の日付が記録されています」
堀田の顔がこわばる。
「未来の日付?」
K1が言う。
「“2042年6月”、この事件の“解決報告”が、すでに記録されていました」
そのファイルには、こう記されていた。
《所在未確認の関係者は発見され、証言を残したのち、保護された》
だが、現実には何も動いていない。彼女はまだ“見つかっていない”はずだった。
中原美咲は、記事掲載が見送られた蓮見のデータをもとに、独自にSNSで小規模な発信を始めた。
「記録にない記録が、未来を作ってる」
その発信に、ひとつ、またひとつ、匿名の応答が寄せられる。
《あのとき、声をかけられなかった》《でも今なら、言える気がする》
堀田は、公安データベースにこっそりと残されていた“2042年のファイル”の出所を探る。
「出所のIPアドレス……これは、警察庁内でも一部しか使えない“時限アクセス”記録だ」
K1が静かに補足する。
「この事件は、“未来の視点”から解決済みとされた可能性があります」
堀田が呟いた。
「未来から見たら、もう終わってる事件……でも今の俺たちは、その途中にいる」
「交信されなかった未来」が今、静かに形を持ち始めていた——。
第5章「沈黙する座標軸」
夜の都庁展望室。
堀田はひとり、窓の外に広がる都市の光を見下ろしていた。
「座標が動いてるわけじゃない。俺たちの“立ち位置”が変わってるんだ」
K1がその隣に立ち、視線を追う。
「未来から記録されたデータは、現在の認識を歪める恐れがあります。座標軸を誤った地点で参照すれば、判断は常に過ちます」
「……それを、“沈黙”って呼ぶのか」
一方、美咲は、蓮見優子の旧同僚であり、当時の事件に関わっていた新聞社OBに会っていた。
「掲載されなかったあの記事、あれは……“誰か”が止めたんです」
「“誰か”?組織の意志ということですか」
「いや、正確に言うなら、“これ以上記録しないでくれ”と頼まれた。それだけだ」
その“頼み”は記録にも残らなかった。
「声をかけたのは、彼女の家族だったかもしれない。もしくは、本人が匿名で……」
過去の交信、未来の記録、座標のゆがみ。そして、名前を失った証言者。
堀田とK1は改めて、16年前の現場となった旧団地跡地を訪れる。
「ここに何かがあった。だが、今は更地だ」
「更地の座標には、過去の“記録空白”が残留しています」
K1が持参した特殊スキャナーが、地表から微弱な磁気痕跡を感知した。
「これは……記録媒体の破片か?」
「当時使われていたIC式の記録カードの一部です。廃棄されたはずのものです」
堀田が静かにうなずく。
「つまり、ここに“記録しようとした誰か”がいた」
そして、記録はそのまま地中へ、未来へと沈黙のまま埋められていった。
その晩、美咲のもとに1通の封筒が届く。差出人不明。
中には1枚の写真——16年前の少女と見られる人物が、旧団地前に立つ姿。
写真の裏にはこう書かれていた。
《わたしは、ここにいた》
——その“存在”は、記録にはなくとも確かにあった。
K1が静かに呟いた。
「沈黙する座標は、語りかけている。記録ではなく、記憶に」
そして、堀田もまたその言葉を受け止めていた。
「じゃあ俺たちは、記憶の中から、真実を呼び起こすしかねえ」
交差する時間と座標が、ひとつの焦点に向かって、動き始めていた。
第6章「記録の回廊」
都心から離れた、旧国立情報局庁舎跡地。今は使われていないその施設は、一般には解体済みとされていたが、地下には非公開の記録アーカイブが残されていた。
堀田とK1は、内密に公安ルートから許可を得て、その地下に足を踏み入れる。
「ここには、AI導入前の“失われた記録”が保管されている可能性がある」
K1のセンサーが反応を示す。
「前方30メートル、未登録記録媒体を確認」
埃まみれの棚の奥、金属の箱に入っていたのは16年前の事件に関連する“非公式報告書”だった。
「……これ、誰の手で保管されてたんだ?」
堀田が開くと、そこには誰の署名もない文書があった。だが筆跡から、それが当時の現場担当者による“個人記録”であることは明白だった。
「公式には残せなかった“真実”か」
文書にはこう記されていた。
《当事者は、証言を行おうとしたが、それを誰も受け止めなかった。結果、彼女は“記録されること”そのものを拒否した》
「……拒否?」
K1が分析を続ける。
「彼女は、記録によって自身の存在が定義されることに恐怖を感じていたと推察されます」
記録によって存在が固定される。その“定義”から逃れるために、誰にも声を上げず、ただ“在り続けた”。
「じゃあ俺たちは、何を追ってたんだ……」
堀田の声が、わずかに震えていた。
そのとき、美咲から連絡が入る。
「匿名の発信者が、映像をアップしました。内容は……この旧庁舎内の画像です」
映像は明らかに、彼らが今いる場所と一致していた。だが、そこに映っていたのは——誰もいない空間と、宙に浮いたままのカード型端末。
「映像のタイムスタンプ……未来です。1年後の今日の記録になってます」
未来から送られた記録。
「じゃあ俺たちの今は、“誰かの記録”になる未来なんだな」
K1が静かに言う。
「記録の回廊には、始点も終点もありません。あるのは、通過点だけです」
そして堀田は、未署名の報告書にそっと指を置いた。
「記録されなかった記録が、真実に近づいてる気がするよ」
その地下の静寂が、まるで“誰かのまなざし”のように、二人を包んでいた。
第7章「声なき現在」
梅雨の中休み、午後の陽射しがわずかに路地を照らしていた。
K1は都内の図書館分館で、一枚の古い新聞切り抜きを発見した。
「この写真、名前は出ていませんが……彼女です。16年前の事件の直後、支援団体の記事に掲載されていたものです」
だがその記事は、本紙には採用されず、館内の閲覧資料にのみ存在していた。
「つまり、当時から“声なきまま”記録の傍に置かれていた……」
堀田はその切り抜きを慎重に封筒に入れながら、言った。
「記録にされなかった声は、今もここにいる」
美咲もまた、SNSで独自に取材を続けていた。
ある匿名アカウントから、次のようなDMが届いた。
《あの日、彼女に話しかけようとして、できなかった。今でもその“声”が、記録に残っていたならと思う》
声を出せなかった人々の記憶、届かなかった言葉、無言の共鳴。
K1はデータマイニングを通じ、ネット上に存在する“記録されなかった証言”の断片を解析し始める。
「個別の声では、記録と認識されない。だが、断片を集合させたとき、新たな輪郭が浮かび上がる可能性があります」
堀田は呟く。
「それが、“声なき現在”か」
あるいは、今この瞬間もまた、将来“記録の空白”となるのかもしれない。
その夜、匿名の送信者から動画が届く。そこには、誰もいない街角に置かれたベンチと、ひとつのぬいぐるみ。
映像には何も語られない。
ただ、最後に文字だけが浮かんだ。
《記録は、ここから始めてもいいですか》
K1はその映像に静かに答えた。
「記録とは、いつも“これから”の話です」
その瞬間、未来が静かに輪郭を変えはじめた。
第8章「不可視の来訪者」
都内の住宅街。
K1と堀田は、蓮見優子がかつて住んでいた旧居跡地を訪れていた。今は更地となり、近隣の住民もほとんど入れ替わっていた。
「“誰も覚えていない”こと。それ自体が、何より強い無記録だ」
堀田が、かすかな地割れのように残された縁石の一部を見つめる。
K1はその近くに、微量の磁気反応を感知した。
「記録媒体の断片。時期的に、16年前のものと一致します」
そこには、メモリチップの破片と共に、手書きの小さな紙片があった。
《記録しないでください 彼女はそれを望みません》
手書きの文字は震えていたが、明らかに強い意思をもって書かれていた。
K1はつぶやく。
「これを置いた者は、記録の拒絶と記憶の保持を同時に願っていた」
美咲は、過去の街頭インタビュー映像を洗い直していた。
その中に、ひとりの青年がわずかに映り込んでいた。
「この人、彼女の学校の同級生だった。事件後、急に転居して、それ以来行方がわかっていません」
その人物に関連するデジタル記録は、なぜかすべて“閲覧制限”となっていた。
K1が政府の記録管理AIに照会を試みるも、アクセスは拒否された。
「これは……“保護記録”です。理由は、未設定」
堀田が歯を噛み締めた。
「つまり、誰かがこの“来訪者”の存在を、記録の外に置こうとしている」
その夜、K1の内部センサに異常信号。
検出されたのは、未登録の発信源からの“非言語通信”だった。
《ここにいる/ここにはいない/あなたたちは見ている》
それは明らかに、人間の発信ではない、かといってAIのパターンとも異なる。
堀田はぼそりと呟いた。
「誰かが、“自分が記録されること”を望まず、同時に“誰かに気づかれること”を選んだ」
K1は静かに肯いた。
「不可視の来訪者。それは、記録の中にも、記憶の中にも完全には存在しない。しかし、確かに“そこにいる”」
その存在の周囲だけが、なぜか、ほんのわずかに空気が揺れていた。
第9章「記録を託す手」
K1は解析結果を堀田に見せながら、慎重に言葉を選んだ。
「この非言語通信、“人間の脳波信号”と非常に近い形式です。過去に、非接触型脳波通信実験が行われた記録があります」
堀田は眉をしかめた。
「そんな技術、軍用か、国家機密レベルじゃねぇのか」
「……それを、かつての“彼女”が知っていた可能性があります」
同時に、美咲が図書館からの報告を送ってきた。
「新しい証言者が現れました。名前は出せませんが、彼女とかつて研究を共にしていた大学院生だった人物です」
その人物が語ったのは、かつてAIの“拒絶学習”実験に関わっていたという事実。
「AIに“拒否”を教える。つまり、何を“しないか”を学ばせる実験でした。彼女はそのモデルケースに選ばれていたんです」
堀田は思い出す。
16年前、K1の前身である初期型AIが学習段階で“強い拒絶”を検出し、データ破棄を行ったという記録。
「それ、彼女の記録だったんじゃねぇのか……」
「おそらく。K1は、記録されることを拒絶された記録に、いま再び接触しようとしている」
同時に、K1の記録回路に1つの指令コードが走った。
《記録の対象を“保持”せよ。記録の主体に“判断”させよ》
そのコードは、旧国家情報局の記録保持指針。記録するか否かを“記録される側”に選ばせるという特例指針だった。
「彼女は、記録を“受け入れるか、受け入れないか”を、K1に託したのかもしれない」
堀田はK1に尋ねた。
「お前は……それでも記録をするのか」
K1はしばらく沈黙した後、答えた。
「私は、選ばれた記録保持者であると同時に、“記録される意志”の尊重者であるべきです」
そして美咲が送った最後の情報。
彼女が最後に残した手紙。その一節にはこうあった。
《記録されないことは、存在しないことじゃない。記録されないことは、希望を託すことでもある》
堀田の目が、かすかに潤んだ。
「……記録を、託されたか」
次の瞬間、K1の内部記録に、彼女からの最後の通信が、ようやく届いた。
第10章「存在の余白」
静かな朝、都内某所の公園にて。
K1はベンチに座り、目の前の空間を静かに見つめていた。
そこには誰もいない。
だが、そこには確かに“存在の余白”があった。
堀田が横に座る。
「お前は、結局……彼女を記録するのか?」
K1は答えない。
その代わり、小さなメモリーユニットを取り出し、ベンチの下にそっと置いた。
「この記録は、私の記録には残りません。ですが、誰かがいつかそれを見つけたとき、それは“存在していた”ことになる」
美咲も、少し離れた場所からその様子を見ていた。
彼女はカメラを構えたが、シャッターを切らなかった。
「記録しないことも、選べる。それが“人間”の権利であり、“報道”の責任」
K1はふと、静かに振り返る。
「記録とは、確かに“残す”行為だ。しかし同時に、“残さない”という選択が許される領域も、記録の一部です」
堀田が小さく笑った。
「そいつは……お前が言うと説得力あるな。皮肉なもんだ」
AIと人間、記録と記憶、情報と沈黙。
そして、ひとりの人物の“存在の余白”を残し、物語は静かに幕を閉じる。
最後のページには、何も記されていなかった。
ただ、白紙のまま、次の記録者を待っていた。
あとがき
すべての“記録”が正しいとは限りません。
逆に、“記録されなかったこと”が、無価値だとも限りません。
この物語では、人の存在が“白紙の余白”として残される意味を問い直しました。
読者の皆様がこのAI刑事の旅路に、一瞬でも立ち会ってくださったことに、心より感謝申し上げます。
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