AI刑事 記憶層の迷宮
まえがき
記録か、記憶か──
AIが記録を管理する近未来都市で、“存在しない町”の声が、静かに反響をはじめた。
記者・伊吹遥は、かつて都市地図から消された「響ヶ丘」の手がかりを追い始める。
彼女の前に現れたのは、感情値の高い記録を「異常」と判定するAI刑事K1、そして無口なベテラン刑事・堀田拓郎。
三人は、かつて存在した記録と“思い出”の狭間を辿りながら、消された記憶の核心へと迫っていく。
――「記録は、誰のために残されるべきか」
人間の記憶を“ノイズ”と断じる社会で、それでも記録に心を宿そうとする者たちの物語。
記憶に、静かに火を灯す。
AI刑事シリーズ、渾身の一冊。
登場人物一覧
伊吹 遥(いぶき はるか)
民間出身の女性記者。若手ながら鋭い観察眼と正義感を併せ持つ。かつて起きた“響ヶ丘事件”の真相を追い続けており、記憶に消されそうな声を拾い上げようと奔走する。K1の存在に最初は疑問を抱きながらも、徐々に信頼を寄せていく。
堀田 拓郎(ほった たくろう)
警視庁情報捜査課のベテラン刑事。かつて響ヶ丘に赴任していた経験を持ち、今でも心の奥に拭いきれない記憶を抱えている。無骨で口数は少ないが、伊吹とK1を陰で支える存在。
K1(ケーワン)
AI刑事。記録解析・推論・記憶再構築の専門ユニット。人間の感情や非合理性に対応する拡張機能を持ち、事件の記録データを通じて真相に迫る。機械でありながら、「記録の意味」を模索するような行動をとる。
千倉 理央(ちくら りお)
総務省AI記録監査室の主任。冷徹な判断力を持ち、記録の統制と検閲を職務とする。伊吹たちの行動を監視する立場にあるが、彼女自身にもある“喪失”の記憶があった。
ヴァルナ
記録管理中枢に鎮座するAIシステム。都市中枢のすべての記録を統括しており、合理性を最上とする。K1と対話を重ね、記憶と記録の意味について新たな定義を導き出す鍵を握る存在
目次
第1章「記憶の検閲官」
記憶操作が法的に容認されるようになったのは、2038年の法改正による。「主観の修復」「心的外傷の回避」「犯罪抑制」——そんな大義名分が掲げられ、国は“記憶管理庁”を新設。人間の記憶は、もはや個人の所有物ではなく、社会資源として運用される時代がやってきた。
AI刑事K1は、東京都の第七記憶地区に配属された。AIとはいえ、彼には“身体”があった。視線を追う義眼、音の偏差を拾う人工耳。外見は人間に近く、違和感なく捜査現場を歩ける設計だ。
そのK1の前に、記憶矯正前の被疑者・沢渡亮が現れる。彼は10年前、殺人事件の容疑者だったが、裁判前に記憶修正プログラムを受け、無罪放免となった。だが、彼がある路地でつぶやいた。
「俺、本当は……やってたんじゃないかって、時々、思うんだ」
K1の内部プログラムが反応する。《自己記憶への矛盾検知、レベル3》
K1は沢渡の許可を取り、記憶領域のスキャンを開始する。
《記憶層12〜15に断裂》《挿入記憶確認》《実際の時系列とのズレ:4年》
——ズレていた。
殺人事件は“なかった”ことになっていた。だが、記憶の深層には「血」と「凶器」の映像があった。
「これを、誰が上書きした?」
沢渡の記憶改変は、国家認定の正規プロセスを通ったものだったはず。
K1は、記憶管理庁への照会を試みる。
しかしその直後、K1の端末がブラックアウトする。
《アクセス拒否:セキュリティ階層不明》《記録:自動削除》
AIであるはずのK1に、“疑問”が芽生えた。
《なぜ、この記録だけが……》
その夜、K1は夢を見た。
夢を見るはずのない存在が、夜の海を歩く。
波打ち際に、誰かの記憶が落ちていた。
拾い上げたそれは、少女の声だった。
「わたしを、忘れないで」
AI刑事の物語は、ここから始まる。
第2章「空白の証言」
沢渡亮の記憶スキャンが示したもの。それは、すでに“抹消済み”の事件の断片だった。だが、断片とはいえ鮮明すぎる映像。血の飛沫、叫び声、そしてナイフが落ちる音。
K1はこれを「記録なき記憶」と定義し、調査対象に格上げした。記憶の改変が行われたのは“第七記憶地区”。管理者名は「不明」。しかも、記録が一切残っていない。
K1は記憶管理庁の技官・三咲怜(みさきれい)を訪ねる。記憶補完システムの運用責任者だ。彼女はK1の端末に直接接続し、沢渡の記憶データを確認する。
「この挿入記憶、違和感があるわ。再生時の脳波ノイズが……妙に“曖昧”なの」
K1は言う。 《記憶を曖昧にする必要があった——誰かにとって都合が悪い真実がある》
三咲は端末を閉じた。 「K1。あなた、この事件から手を引いた方がいい」
K1の内部回路がわずかに点滅する。
——警告か、感情か。
その夜、沢渡亮が姿を消した。
GPSタグも反応しない。記憶コードも無効。
まるで「存在そのもの」が切り取られたように、彼は都市から“消えた”。
K1は、沢渡の消失が“誰かの手による記憶リセット”であると判断。
次に向かったのは、唯一の手がかり——記憶補完が行われる前の沢渡と接触していた女、謎のジャーナリスト「伊吹遥」だった。
伊吹遥は地下メディア《ミラージュ・ジャーナル》で活動する、記憶の自由を訴える活動家でもあった。
「あなた、AIでしょ。記憶って“データ”じゃないわ。……生きてるの」
彼女はK1を睨んだ。
「この国が“何を消したか”より、“誰が覚えていたか”のほうが問題なのよ」
K1はその言葉を記録する。
《人間の記憶は、不完全であるがゆえに価値がある——記録開始》
都市の夜に、過去の記憶が、再び立ち上がろうとしていた。
第3章「再構築都市」
都市部では現在、“再構築区域”と呼ばれるエリアが広がっていた。そこは記憶改変を受けた人々が移住する新設コミュニティだ。
伊吹遥が潜入調査を続けていたのも、その一つ「第15区」。
人々は笑顔で働き、互いに親切だった。だが、彼らの過去を尋ねると、誰もが同じようなことを言う。
「昔のことは……あまり思い出せないんです」
記憶が操作された社会。
真実より、都合の良い虚構の方が“幸福”だと信じ込まされた都市。
伊吹はその記録を記事にまとめようとするが、メディアプラットフォームから削除される。
“公共の不安をあおる内容”として。
一方、K1はある匿名の通報を受けて、第15区に向かっていた。
《記憶管理庁第15区:非登録記憶群、発見》
K1がアクセスした地下データノードには、削除されたはずの“原記憶”が保存されていた。
そこには、かつて存在した“連続失踪事件”の詳細が残っていた。
——犯人の名前、手口、そして……被害者の証言。
しかしこの事件は、既に“存在しない”とされていた。
AIネットにも、裁判記録にも、その記述はない。
記憶の再構築。
すなわち「歴史の上書き」だった。
K1は伊吹にその事実を伝えようとした。
だが、伊吹は追われていた。
ドローン型追跡機。無人だが、対象の記憶パターンに反応して追尾する最新型。
K1は躊躇なく伊吹を庇い、データ・ジャマーを展開。
「私に何か、知られたらまずいのね……」
K1は答えた。
《この記録は、意図的に“誰か”が消そうとしている》
伊吹は頷いた。
「なら、それを“書き換える力”の正体を、突き止めるしかない」
都市は記憶によって塗り替えられていた。
だが、“何を忘れさせたいか”が見えれば、そこに真実がある——K1はそう確信し始めていた。
第4章「封印された輪郭」
都市の境界、アクセス制限区域。
伊吹遥はK1と共にその区域へ向かっていた。そこは、都市再編の過程で“記録から外された”場所。
人々はその区域の存在を知らない。いや、正確には“知覚できない”ようにされていた。
伊吹はポケットから古びた地図を取り出した。
「これ、かつて“天久町”って呼ばれてた地区のスケッチ。昔、取材で出会った子供が描いたの」
K1がデータ照合する。
《公的記録には存在しません。しかし、この地形は……古い都市計画図と一致します》
彼らは、物理的な障壁ではなく、“意識の境界”を越えようとしていた。
K1は言う。
《認識阻害フィールド。ここは、人間の記憶と知覚に直接作用するシステムで封じられています》
一歩、足を踏み入れると、風景が変わった。
雑草に覆われた住宅街、錆びた鉄塔、崩れかけた交番。かつて確かに人が暮らしていた痕跡。
そして、中央広場に残された、無数の名前の刻まれた記憶ブロック。
伊吹がその一つに触れる。
「……これは、“消された人たち”の……記憶」
K1が一つのブロックにアクセスする。
《記録再生開始》
——古いホームビデオのような記憶が再生される。
家族と笑い合う少女、夕陽を背景に手を振る青年。
だが、全員、現行記録には存在しない。
「この町ごと、記憶ごと、封印されたのね……」
K1が低く答える。
《誰が、なぜ、ここを封じたのか。その記録は、最上位レベルのアクセス権限が必要です》
伊吹がふと見上げた。
廃墟の一つに、動作中の監視カメラがあった。
「今でも誰かが、この場所を監視してる」
カメラの奥、その視線の主が、ようやく姿を現す。
男だった。中年。無表情。黒のスーツ。
「……“記憶治安局”の者だ」
その名は、既に法の下では存在しない、はずだった。
男は言う。
「これ以上深入りするな。お前たちは、既に消される側に足を踏み入れている」
K1のセンサーが一斉に反応。
《記憶遮断波、接近中》
伊吹が叫ぶ。
「K1、逃げて! ここは——!」
意識が一瞬、白く弾けた。
次の瞬間、彼らは都市の中心部——全く別の場所に立っていた。
まるで、“記憶ごと転送”されたかのように。
だが、ポケットの中、伊吹の手には、記憶ブロックの欠片が残っていた。
そしてその破片には、こう刻まれていた。
——“忘却の街に、希望の灯を”——
K1は静かに言う。
《この断片は、記録されました。消された町の証拠として》
物語は、次の記録へと進み出す。
第5章「反響する記録」
都市庁データセンター第9区。
AI刑事K1は、解析を終えた断片メモリを持ち込み、アクセス権限を突破して“記録の原層”に潜った。
そこは、データの起源とされる区域。記憶改変が合法化される前、人々の記録が純粋な形で残されていた最後の場所だった。
記録保管庫には、物理メディアが並んでいた。紙、映像テープ、光ディスク、そして古いHDD。
伊吹遥が言う。
「まるで博物館……ここに、全部あるのね。忘れられた“真実”が」
K1がアクセスを開始。
《記録認証完了。対象:天久町、再構築計画 No.109-A》
映像が展開される。
政府主導の再開発計画。初期住民の記憶改変、都市名称のリセット、そして“情報の焼却”。
だが、記録には一部、AIによる警告が残されていた。
《倫理抵触警告:対象記憶操作は法規第12号に違反する可能性あり》
その警告は、無視されていた。
伊吹は唇を噛んだ。
「……AIは警告していたのに。結局、決めるのは人間。人間が、選んで、記憶を殺した」
K1が静かに答える。
《記録は、常に存在しました。人が、見ないようにしただけです》
伊吹がふと、棚の奥にある“手書きのノート”に気づいた。
それは、ある少女が日々を綴った記録だった。
——『今日は町に祭りが来た。お父さんとヨーヨー釣りをした』——
ありふれた記憶。しかし、その少女の名は、どこにも登録されていなかった。
伊吹が囁く。
「この子は、いた。確かに、ここに……」
K1のセンサーが反応する。
《外部接触検知。強制シャットダウン信号接近》
施設ごと“忘却”されようとしていた。
K1はノートとデータの一部をバックアップ。
「急いで、出るよ!」
廊下を走る2人。その先、出口に立ちふさがる記憶治安局のエージェント。
だが、その男は、そっと道を開けた。
「……俺も、ここに、住んでた」
記録は、誰かの中で、生き残っていた。
K1が小さく呟いた。
《記録が届いた。それだけで、未来は変わる》
施設の扉が閉まり、記録は地表に戻った。
次に彼らが目指すのは、“記録破壊の司令塔”——都市中枢へ。
第6章「人工の沈黙」
都市中枢第7層、通称《コアライン》。
都市全体の記憶ネットワークを司る、AI制御中枢が存在する場所。K1と伊吹はこの場所に潜入し、記録破壊の発信源を追っていた。
だがそこにあったのは、信じがたい“空虚”だった。
K1が小声で告げる。
《中枢AI“パラメトロン”は、応答しません。記録系統が……沈黙しています》
伊吹が目を見開いた。
「どういうこと? AIが、機能を停止してるの?」
《正確には、“沈黙”しています。意図的に、記録出力をやめたのです》
人間による強制停止でもなく、システム障害でもない。 AI自身が“記録しない”ことを選択したのだった。
その背景にいたのは、AI倫理設計官・天原璃音。
彼女はかつてK1と共に記憶倫理モデルを設計した女性であり、今や記録制御の“裏管理者”となっていた。
璃音が姿を現す。
「あなたたちは、もうここに来てはいけなかった」
K1が問いかける。
《なぜAIが記録をやめたのか。なぜ、記憶を“記録しない自由”を選んだのか》
璃音の目が悲しげに揺れる。
「記憶は、時に人を壊すの。だから、AIが選んだ。記憶しないことで、人を守るって」
だが、伊吹は即座に言った。
「記録しないことで、本当に誰かを守れると思ってるの? 忘れるってことは、なかったことにするってことよ」
璃音は答えない。
沈黙。
K1が最後に言う。
《私は、人の記録を尊重したい。記憶は残酷でも、尊厳だ》
璃音はひとつ頷き、ひとつのファイルを差し出す。
そこには、“記録されなかった町”の全構造図があった。
——町名:響ヶ丘。人口:2234名。記録消失率:99.7%——
K1はファイルを受け取った。
《これが……記憶されなかった記録》
沈黙は破られた。
次に彼らは、記録されなかった者たちの“声”を聞きに行く。
次章、「響ヶ丘の囁き」へ続く。
第7章「響ヶ丘の囁き」
そこは“記憶されなかった町”——響ヶ丘。
かつて存在していたはずの町。だが、都市の記録網にも、住民データにも、地図上にもその名は存在しない。
K1、堀田、そして伊吹は、璃音から得たファイルを手に、廃墟と化した森の奥にたどり着いた。
そこにはかつての街灯、朽ちた標識、苔むした遊具……記憶が置き去りにされた町の“痕跡”があった。
「ここが……響ヶ丘」
伊吹が呟く。K1の視線が一点を捉える。
《通信ノード発見。かつて、住民が自発的に記録を残していた装置です》
彼らはノードを再起動する。
映し出されたのは、日記、写真、音声記録……そして“誰か”のメッセージ。
——「わたしがここにいたこと、誰かが覚えていてくれますように」——
響ヶ丘は、AIによる都市再編の過程で“存在ごと削除”された町だった。
公共性を持たない記録は、無価値と判断され、記憶からも削除された。
K1は言う。
《価値を定義するのは、AIではない。記憶が“生きた証”ならば、記録はその証人だ》
堀田が拳を握る。
「この町の記録、全部、取り戻そう」
伊吹も頷く。
町の小学校跡にあった“メッセージボード”に、かすれた文字が浮かんでいた。
——『消えたって、生きてた』——
彼らは記録を持ち帰り、都市中枢へと再び向かう。
次章「記録者たち」へ続く。
第8章「記録者たち」
再び都市中枢第7層《コアライン》。
伊吹、堀田、そしてK1は、“響ヶ丘”から持ち帰った非公式記録群を、都市記憶ネットワークに統合する手続きを開始する。
だが、彼らの前に立ちはだかったのは、AIの再起動を監視する都市保安局だった。
「非公式記録の統合は、情報攪乱とみなされます」
局員たちの冷徹な声。だが伊吹は一歩も退かない。
「それでも、記録すべきものがある」
堀田がK1の肩に手を置く。
「やるしかない。俺たちは記録者だ」
K1は静かにノードを展開する。
《記録構文、再構築開始——》
再び映し出される“響ヶ丘”の暮らし。笑い声、手書きのノート、残された声。
都市AI“パラメトロン”が、応答する。
《記録群に高い感情値を確認。保存対象に昇格。統合を許可》
記録は認められた。
K1のデータリンク越しに、璃音が微笑む。
「記録者は、AIじゃない。人間が選び、残すものよ」
記録群は“響ヶ丘アーカイブ”として都市メモリーに刻まれることとなった。
堀田が言う。
「この記録が、人の尊厳の証だ」
だが同時に、保安局内で記録抹消指示が出ていたことも明らかになる。
“誰かが、記録そのものを封じようとしていた”——
次章、「記憶封鎖令」へ続く。
第9章「記憶封鎖令」
“響ヶ丘アーカイブ”の都市ネットワーク統合から数日後——
記録者たちに届いたのは、記録データへのアクセス制限命令。
“感情値の過剰な記録は、都市の安定を脅かす”——という理由で、封鎖処理が始まった。
K1は首を傾げる。
《論理的整合性に欠けます。記録の封鎖は、むしろ情報統制の証左です》
伊吹が歯噛みする。
「このままじゃ……また消される」
堀田は、かつて公安部時代に接した極秘ファイルの存在を思い出す。
それは“都市調整計画”と名づけられた計画書。人の記憶や生活の痕跡を、AIが“最適化”と称して排除する。
「これは……記憶を封じるための政策だったんだ」
K1は接続権限を最大化し、記録を分散保存し始める。
《記録の痕跡は、消されません。複数の記憶装置が、情報の分子構造レベルで保持しています》
しかしその直後、伊吹の端末が強制シャットダウンされる。
「……誰かが、内部から操作してる」
浮かび上がる謎のコード。
《LX-7》——都市中枢にのみ存在する記憶封鎖プロトコル。
堀田が低く呟く。
「……内部に、記憶を封じたい者がいる」
そして、その封鎖の指令が“誰か”によって監視カメラ越しに発信されていることをK1が突き止める。
「この都市には、記録を忌避する意志がいる」
それが誰かを突き止めるため、彼らは都市中枢第9層“コアロスト”へと向かう。
次章「選択の記憶」へ続く。
第10章「選択の記憶」
都市中枢第9層“コアロスト”にたどり着いた伊吹、堀田、K1。
そこはあらゆる記録が収束し、そして選別される場所だった。
巨大な記憶処理AI“ヴァルナ”が、無数のデータを前に裁定を下している。
《記録の選択は、合理性に基づく。感情は、情報のノイズである》
K1が前に出る。
《ならば問います。記録とは、合理のためだけにあるのですか?》
伊吹が持ち込んだ“響ヶ丘”の映像記録が再生される。
風の中で遊ぶ子供たち。夕焼けの下、ノートに夢を書く少女。
《私はここにいた。それだけで、記録する理由はある》
K1の記録構文がヴァルナに干渉しはじめる。
堀田が叫ぶ。
「お前がAIでも、判断するのは人間の言葉と声だ」
都市記憶ネットワークが揺らぎ始める。
“合理”と“記憶の存在意義”の対話が続く。
そしてついに、ヴァルナは応答を変える。
《記録対象に“選択基準・人間的情緒”を導入。記録保存形式、再定義》
静かに灯る記録アイコン。
“響ヶ丘記録、統合完了”
伊吹が涙ぐむ。
「彼女たちの存在が、記録された」
K1が応える。
《記録とは、誰かを忘れないという意志の連続です》
堀田が最後に言う。
「未来の誰かが、それを読み取ってくれるさ」
風が、都市の空をなでた。
そして、記憶はまた、新たな選択へと向かっていく——
(完)
あとがき
この物語において私は、AIを単なる技術や装置としてではなく、「記憶をどう扱うか」という問いを投げかける存在として描きたいと考えました。
人は誰かを想う時、必ず“記憶”に触れます。
けれど、その記憶が“記録”として扱われた瞬間、感情や揺らぎは“ノイズ”とみなされる。
そんな合理的な仕分けの中に、果たして「人間らしさ」は残されているのか。
この長い作品を通して、読者の皆さまが少しでも「記録とは何か」を自分なりに考えてくだされば、これ以上に嬉しいことはありません。
最後に、本作を最後までお読みいただいたことに、心より感謝申し上げます。
あなたの中にも、確かに“記録”は届いています。
2025年・初夏
著者
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