AI刑事 祠の証明 | 40代社畜のマネタイズ戦略

AI刑事 祠の証明

警察小説
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まえがき

記録とは、ただのデータではない。
それは誰かの“声”であり、“想い”であり、“選択”の軌跡だ。

本作『祠の証明』は、過去の記録をめぐって動き出すAI刑事K1と人間たちの物語。
舞台は、消された地図に載らない町。
“記録”を追う先にあったのは、失われた町の声と、それを未来に残そうとした静かな意志だった。

死者のないミステリーを通して、過去と向き合う勇気、そして未来に引き継ぐ優しさを描きたいと思いました。
ページをめくるたびに、あなたの中にも何かが残りますように。

登場人物

K1(ケーワン)
最新型AI刑事。論理的で冷静ながらも、人間の感情に関心を抱き始めている。

堀田慎一(ほった しんいち)
ベテラン刑事。現場一筋、勘と経験で動くタイプ。K1とは良き相棒関係。

伊吹遥(いぶき はるか)
社会部記者。真実を追い続ける芯の強さを持ち、かつての町の記憶に強い関心を持つ。

笹川航平(ささがわ こうへい)
元・町の記録係。物語の鍵を握る人物で、祠に遺された“記録”の継承者。

大原市長(おおはら しちょう)
消された町に関わっていた行政側の人間。記録抹消の背後にいたが、真相を語る勇気を持つ。

目次

まえがき

登場人物

第1章「逃げなかった理由」

第2章「沈黙の詩人」

第3章「途切れた地図」

第4章「灰の中の花」

第5章「渡せなかった言葉」

第6章「未明の手紙」

第7章「約束の地点」

第8章「架け橋」

第9章「声の痕跡」

第10章「祠の証明」

あとがき

 

第1章「逃げなかった理由」

東京・中央区の交差点にそびえ立つ彫刻《翼》の下で、青年が膝をついていた。早朝の光の中、通勤客たちが足を止め、スマートフォンを構える。その青年は、ただ静かに顔を伏せ、何かを待つように動かなかった。

通報を受けて現場に到着したのは、堀田刑事とAI刑事K1だった。K1は最新型の感情解析ユニットを搭載しており、現場で人の表情・仕草・呼吸・声色から感情データを即座にプロットする。

「この男……何かを『伝えよう』としてここにいたようです」

K1の冷静な声が響いた。

男の名は沢木純平(さわき じゅんぺい)、26歳。凶器もなく、争った形跡もない。だが、手にはメモが握られていた。そこには走り書きでこう記されていた。

── “僕は逃げない。あの場所に届いてほしい” ──

病院に搬送された沢木は、昏睡状態にあった。

堀田はメモを読みながら呟いた。 「逃げない?誰かのためか、それとも……」

伊吹遥(いぶき はるか)記者は、その場で警察に許可を得て現場に取材に来ていた。彼女は都市伝説のように語られる《翼》の彫刻について独自の調査を続けていた人物だった。

「この場所、数年前にも同じようなことがあったんです」

伊吹が見せた資料には、2014年に同じ彫刻の下で“泣き崩れた女性”の記録が載っていた。表情認識AIによる分析では、極端な悲しみと微笑みが同時に検出されていた。

《翼》── それは人が記憶を投影し、感情の残響を刻みつける場なのかもしれなかった。

K1は彫刻の表面をスキャンしながら言った。

「この構造物には、過去数年間で集中的に『高密度の感情残渣』が蓄積されています」

感情残渣(エモーショナル・レジドゥ)は、近年のAI研究で解明された、強い感情が物質表面に一時的に記録される現象だった。

堀田と伊吹は、沢木の過去を洗い直す。

── 彼には10年前に行方不明になった妹がいた。

名前は沢木由衣(ゆい)。当時中学2年。 記録によれば、兄妹は《翼》の前で最後に一緒にいた。

「彼は何を思って、またここへ来たのか」

伊吹は、由衣が残した“詩の断片”を発見する。それは兄に宛てたものであり、同時に“何かを守るための決意”でもあった。

夜。堀田とK1は、沢木のアパートを訪れる。

そこには一冊のスクラップブックがあった。 ページをめくるたびに現れる、妹との記憶。彼女の書いた詩。彫刻のスケッチ。そして最後のページにだけ、奇妙な地図が挟まれていた。

地図にはタイトルがあった。

──《翼の下にあるもの》

K1の目が淡く光る。

「これは“記録の地図”です。過去を、心で歩いた軌跡」

その瞬間、堀田の記憶にも微かに蘇る、ある少女の姿。

彼らはまだ、事件にさえなっていない“何か”を追っていた。

だが、その何かは、過去と現在、そして記録と心をつなぐ“道標”になる予感がしていた。

第2章「沈黙の詩人」

沢木純平の意識は、依然として戻らなかった。 医師によれば、脳への直接的な損傷は見られないものの、深い精神的ショックにより自発的な覚醒が阻害されているという。

伊吹遥は、病室のガラス越しにその顔を見つめていた。 その手には、沢木の部屋で見つけた詩の断片が握られている。

──《とおく、きえたことばを、ひとつひとつ、あつめるために》

由衣が書いたとされるその詩は、まるで“記憶の採集者”のような視点だった。

堀田とK1は、詩に描かれたイメージと、沢木が残した地図の照合を進めていた。 K1の演算によれば、詩中に頻出する「水」「階段」「凪」の語彙が、中央区の旧河川跡地と一致する可能性が高い。

「水が凪ぐ場所……地下かもしれんな」 堀田が地図を見ながら呟く。

彼らが向かったのは、地下鉄銀座線の旧工事区域。 かつての水路が都市計画の一環として埋められ、今は点検通路としてしか使われていない場所だった。

暗がりの中を進むと、コンクリート壁にスプレーで描かれた《翼》の形が見えた。

伊吹がライトで照らすと、そこには幼い筆跡のような詩が刻まれていた。

──《とまらないなら、ここでまってる。おぼえているなら、またあえる》

K1が言う。 「これは記録媒体ではありません。手で書かれた“感情の言語”です」

この場所は、沢木兄妹がよく遊んでいた“秘密の場所”だったのかもしれない。 伊吹が懐中ノートを取り出し、詩を写し取っていく。

その時、通信が入った。

《中央署から。彫刻《翼》の表面に、今朝新たな“熱反応”が観測された》

「誰かが、あの場所で“何か”を思ったってことか」 堀田が返す。

三人は再び、彫刻のある交差点へと向かう。

朝日が差し込む中、《翼》の下には、白いリュックを背負った中学生くらいの少女が立っていた。

少女の姿を見たK1のセンサーが微細に振動する。

「……この子、以前の記録に一致します」

伊吹が息を飲む。

「由衣……なの?」

少女は、微かに笑みを浮かべ、そして背を向けた。

彼らがその後を追うと、少女は一つの建物の影に姿を消した。

そこは、旧区役所の図書館跡地。 封鎖されて久しく、今は記録保管庫の一部としてのみ使われている場所だった。

K1の目が強く光る。

「この建物には、“記憶の封印庫”が存在します」

それは、行政のAIが保有していた“記録不能領域”── 人が自ら記録し、しかし忘れていくことでしか成立しない“記憶の空白”だった。

伊吹がポツリと呟く。

「人が記録しないと、AIには探せない。……でも、K1、君はそれを“感情”で拾えるんだね」

少女の影を追いながら、彼らはさらに“過去の記憶”へと歩を進めていく。


第3章「途切れた地図」

中央区旧図書館の記録保管室。 伊吹、堀田、K1の3人は、職員の立ち会いのもと、封鎖された地下倉庫に足を踏み入れた。

「このあたり……湿気がひどいな」 堀田が壁のカビを指さす。

K1は無音で歩きながら、赤外線スキャナーと空間波長解析センサーを起動させる。

《この部屋の記録濃度は、中央区で最も高い領域に属します。特に“未整理の個人記録”の残存が顕著です》

伊吹は慎重に一つの箱を開けた。 中には、古い小学生向けのノートや文集、時折挟まれたスケッチブック。

その一冊の表紙に、震える文字でこう記されていた。

──『わたしの ちず』──

「これ……由衣のものかも」

伊吹は中をめくった。 そこには、子どもの手による簡素な町の地図と、それぞれの場所に対応する“思い出”が描かれていた。

《ブランコのあるこうえん → おにいちゃんが かぜでねてたから、ひとりであそんだ》 《スーパーのちかく → ひとがたくさんいて、こわかった》

K1が静かに言う。

《この記録には、時間軸がありません。ですが、ページごとに“感情反応”が異常に集中しています》

堀田が呟く。 「これは、“感情の地図”ってやつか……」

ページをめくっていくうちに、一つの“欠損”があることに気づいた。

地図の中に、“濃い黒で塗りつぶされた区域”がある。

何も書かれていない。 その上には、ただ一言だけ。

──『ここは わすれる』──

伊吹の胸に、強いひっかかりが残った。

K1は演算を進めていた。

《この地図の全体構成は、行政データと一致しません。しかし“配置”は、かつて存在した空き地の分布と似ています》

堀田が地図をコピーし、地理情報と照合しながら言った。

「この場所……今は高層ビル群の一角になってる。再開発で地図ごと消されたんだ」

伊吹がふと、詩の記憶を呼び起こす。

──《おぼえているなら、またあえる》──

その“黒く塗りつぶされた区域”に、何があったのか。 なぜ、記憶ごと封じ込められたのか。

その問いの先に、“この事件の核心”があるように思えた。

K1が言った。

《人は、記憶を消すことで前に進むことがあります。しかし、“消された理由”まで消えてしまうと、それはただの“欠落”になります》

伊吹は頷いた。

「だから、私たちは“思い出す”んだよ。たとえ誰にも頼まれてなくてもね」

三人は、黒く塗りつぶされた地図の場所──再開発エリアの“空白”へと、足を進める。

その先にあるのは、失われた町の記憶と、過去を封じた誰かの意志。

第4章「灰の中の花」

旧町の記憶が封じられたまま、高層ビルが並ぶ再開発区域。 伊吹、堀田、K1の3人は、その中心に建つ商業複合ビルの地下へ向かっていた。

「この辺りが“黒く塗りつぶされた場所”と重なる区域です」 伊吹が、地図を見ながら静かに言う。

エレベーターを降り、地下フロアの端にたどり着くと、K1が停止した。

《この一帯、空間データが奇妙に圧縮されています。かつて別の建築物が存在した形跡》

堀田が、ふと天井を見上げる。 「匂いが違うな……ここだけ、古い木材の匂いが残ってる」

三人が足を踏み入れた先には、改装されずに残された小さなホールのような空間。 壁面の一部には、炭のような黒い跡。

K1が近づき、残留物を解析する。

《炭化物質。合成木材の燃焼痕。焼失建築の一部を“記念保存”として残した可能性があります》

伊吹が壁に目を留めた。 焦げ跡の中に、うっすらと見える何かの輪郭。

「これは……桜の花?」

そこには、小さな手で描かれた“桜の花”の絵が、煤にまみれながらも残っていた。

「子どもが描いたんだね」

堀田が懐から古びた小冊子を取り出した。

「さっき見つけた、地域文集の写しだ。ここに“旧花祭り会館”って記述がある」

“花祭り”──それは、かつてこの町で春を迎える行事として行われていた伝統行事。

K1がAI記録網から過去の画像データを復元した。

《花祭りの記録──桜の紙花で飾られた会館、子どもたちの舞台、地域住民の笑顔──》

だが、その記録の最後には、会館火災の簡素な報告が添えられていた。 “原因不明の出火により、会館は全焼”

伊吹が呟いた。 「記憶ごと、燃やされた……でも、誰かがこうして花を残してくれた」

その時、K1がビル内の微弱な信号を感知した。

《未登録の個人記録端末から微弱な通信反応あり。地下フロア北端にて検出》

三人は、物置のような部屋にたどり着く。 そこには、清掃員のユニフォームを着た高齢女性が座っていた。

彼女は、ゆっくりと語り始めた。 「昔、この町に、詩があったの。子どもたちの言葉を集めた、小さな声の祭り……」

彼女の話に、伊吹は記憶を重ねる。 「その詩が、あの“沈黙の詩人”のもと?」

女性は頷いた。

「みんな、あの火事で声を失った。でもね……あの子だけは、声を録ってた。何もかもなくなった夜、録音機だけが残ってたの」

K1が記録装置を差し出すと、彼女は躊躇いながらそれを受け取った。

そこに保存されていたのは、祭りの夜の声── 笑い声、詩の朗読、拍手、そして“ありがとう”という小さな声。

その瞬間、三人は確信した。

記憶は、消されても“響き”として残る。

堀田が静かに言った。 「この花は、燃えても枯れてない」

伊吹は、壁の花をそっと指でなぞった。

「この記録も、私たちが未来に咲かせる」

第5章「渡せなかった言葉」

記録再生装置から流れる“ありがとう”の声は、地下の小部屋にしばしの静寂をもたらしていた。

その音声を聞き終えたK1が呟く。 《この音声には、標準的な発声とは異なる構音特性が含まれています。話者は、おそらく口腔形成に何らかの制限があったと推定》

堀田が目を細めた。 「つまり……障がいを持つ子だったのか」

伊吹は思い出す。 地域文集の中に、ひときわ短い詩があった。

──『みんなと おなじ こえじゃないけど うれしかった』──

「この子が、“ありがとう”と言ってくれたのかもしれない」

彼女はその詩のページを、そっと胸元にしまった。

翌日。 伊吹と堀田、K1は旧町の一角にある市立図書館を訪れた。 そこに、焼失した“花祭り会館”に関する新聞記事のアーカイブがあると聞いたのだ。

古いマイクロフィルムを再生する。 記事の一面には、子どもたちが舞台に立つ様子と、“詩のリレー”という見出し。

そこに、明確に“由美”という名があった。

《詩の最後を締めくくったのは、小学2年生の伊達由美さん。口の手術後間もない彼女は、録音で感謝の言葉を伝えた》

伊吹がその記事のコピーを手に呟く。 「……やっぱり、あの声は“由美”だった」

その瞬間、K1のネットワークから新たな通知。 《現在、SNS上で“旧会館の火災は意図的だった”との投稿が拡散中》

投稿には、黒焦げになった桜の絵の写真と、“口を閉ざされたまま消された祭り”というキャプション。

堀田が顔をしかめる。 「誰かが、記憶を操作しようとしてる……」

伊吹は怒りを込めて言った。 「この子の“ありがとう”を、そんな風に使わせない」

K1が提案する。 《この音声記録と新聞記事、地域文集をセットにして、“詩の記憶”として公開することを提案します》

それは、“操作された記憶”ではなく、“残された言葉”として届けるための行動だった。

翌日。 伊吹は地元テレビ局で記者会見を開いた。

「私たちは、消されたとされた記憶の中に、確かな“ありがとう”を見つけました。 これは、過去から届いた声であり、未来に渡すべき言葉です」

記者席にいた一人の女性が、そっと涙を拭った。 彼女は、かつての詩のリレーの参加者だった。

「ずっと、言えなかったんです……火事の夜、会館にいたことを」

だが、今。 彼女の言葉が、もう一つの“ありがとう”として会場に響いた。

堀田は静かに伊吹に言った。 「渡せなかった言葉が、今、届いたな」

K1が小さく光を発した。 《記録の向こうに、人の心がある。ようやく、そう言える気がします》

第6章「未明の手紙」

午前3時過ぎ。伊吹遥は自宅のポストに投函された、差出人不明の封筒を見つけた。 中には、一枚の古びた便箋と、焼け焦げたUSBメモリ。

便箋には、震える手で書かれたような文字で、こう記されていた。

──“ごめんなさい 全部 知ってました”──

彼女はすぐに堀田を呼び出し、USBメモリの内容を確認する。

記録されていたのは、1980年代の防災訓練映像。 その背景に、問題とされる火災の発端となった“旧町中央倉庫”が写っていた。

映像の最後に、誰かが振り返り、カメラを見つめていた。 その顔には、見覚えがあった。

「これ……市議会議員の古賀じゃないか?」 堀田が呟く。

K1の分析結果が表示される。 《映像内の人物は現在の市議、古賀重義氏と98.6%の一致率》

「彼が、火災の当日も現場にいた……」

この情報は決定的だった。 が、それを表に出すには、さらなる証拠が必要だ。

伊吹は手紙の筆跡を追うように考える。 「この文字、どこかで見たことがある……」

K1が即時照合を行い、かつての町立中学校の卒業文集に同じ筆跡を発見する。

《記録一致:元・町立中学教員 佐野美保》

堀田が地図を広げた。 「この佐野って先生、今どこに住んでる?」

《山間の旧集落・渓谷町。現在は無人地域とされています》

伊吹は即座に立ち上がった。 「行くわよ。こんな時間でも、きっとまだ起きてる」

深夜の山道を、K1のドローン照明に導かれながら、車が進む。

そして、古びた一軒家に灯る小さな明かり。 佐野美保は、静かに玄関を開けた。

「……やっぱり来たのね」

彼女は、手紙を出したことを認めた。 そして語り始めた。

「火事の前の日……私は古賀議員に会ったの。 “あの倉庫、邪魔になってるんだよな”って、何気ない一言。でも、あれがすべてだった」

彼女は声を震わせながら言った。 「私は……止められなかった」

伊吹がそっと言う。 「でも、今は……記録を渡してくれた」

佐野は頷いた。 「この町に残したかった。“もうひとつの記録”を」

K1がメモリを読み取り、AI解析記録として保存する。

《未明の手紙、記録完了。記憶は、意志によって未来へ渡されました》

堀田が遠くを見つめた。 「記憶は風のように残るな……目には見えないが、確かに在る」

朝焼けが、山の稜線を優しく照らしはじめていた。

第7章「約束の地点」

渓谷町の山奥に残されたもうひとつの手がかり──それは、廃墟と化した旧町役場の地下倉庫にあった。

伊吹、堀田、K1は再び町に戻り、夜明けとともに役場跡地に向かう。 地元の地図にも記されていないその地下空間は、K1の旧行政記録データから存在が判明した。

地下へと続く階段は朽ち果て、足元はぬかるんでいた。 K1の投光機能が照らす中、三人は慎重に進む。

「ここに、まだ何かが残ってるのか?」 堀田の声に、K1が応える。

《推定保存物件:第73記録ボックス》

古びたロッカーの奥、埃をかぶった鉄箱があった。 その中に、数冊の記録簿とカセットテープ。

伊吹がそっと取り出す。 「“地区合同会議議事録1987年”……これは……」

ページをめくると、“旧町中央倉庫の取り壊しに関する非公開議論”という文字が躍っていた。

会議の出席者欄には、当時の町長、副町長、そして──古賀重義。

「こんな記録、どこにも公開されてなかったはず……」

堀田が吐き捨てるように言う。 「証拠を封じ込めたわけか。自分たちの都合で」

だがその議事録の末尾に、唯一の異論として書き込まれていた名前があった。

──“伊吹志乃”──

伊吹遥の、母の名だった。

「お母さん……が、反対してた……?」

K1が静かにデータを照合する。 《伊吹志乃:当時、教育委員会代表として臨時出席。議事録内での発言記録あり》

映像の中で母が語っていた“町の記憶”は、嘘ではなかった。

「ここが……約束の場所だったんだ」

彼女の手が、記録簿をそっと抱きしめる。

そのとき、地下空間に風が流れた。 閉ざされた空間に、どこからか届く“朝の匂い”。

堀田が口を開く。 「この町を、もう一度見直す必要があるな」

伊吹は頷いた。 「記憶は、記録として残ってる。誰かが、それを掘り起こさなきゃ」

K1が最後に告げる。 《記録の断片、収集完了。残された記憶は、行動に変わろうとしています》


第8章「架け橋」

新たな手がかりを携え、伊吹・堀田・K1の三人は、再び“祠”のある山間部へ向かった。

K1が持つAI地形解析によって、旧町役場の地下から拾われた座標データは、町の記録では未登録となっている一画を指し示していた。

そこは、地元の人々から「戻らず峠」と呼ばれた、林道の奥。

「昔、土砂崩れがあって通行止めになった場所です」 と、同行した地元案内人の少女・結月が語る。

車両では入れず、三人は歩いて峠を越える。

やがて、苔むした階段の先に、ぽつんと一軒の木造建物が見えた。 半壊しながらも、扉の一部が開いている。

そこにあったのは──大量のノートと、白黒の写真、そして録音用の簡易機材。

K1が即座にスキャンする。 《過去に放送された町内ラジオ“ひびきの声”の録音原本。未公開分を含む》

伊吹は、埃を払いながら写真を確認。

「この子……」

そこに映る、笑顔の少女と写るもう一人の青年。

堀田が言う。 「こいつ、見たことあるな……議事録にあった、町の記録係……」

彼の名は“笹川航平”。祠で見つかった映像の中で、“記録”という言葉を口にした男。

ノートには、彼の手書きの文字があった。

──「記録は誰かが残さないと、消えてしまう」──

K1が静かに呟く。 《記録係・笹川航平は、町の消失以降、行方不明に。公的には“所在不明”と記録》

彼は、この小屋で最後の記録を残そうとしていたのか──。

伊吹は窓の外を見つめた。 その向こうに広がる、再生途中の新しい集落。

「ここから、新しい“記録”が始まるのかもしれない」

堀田が頷いた。 「過去と今を繋ぐ“橋”だな」

K1がそっと言う。 《私たちは、記録の旅を続けています。未来に手渡すために》


第9章「声の痕跡」

K1が持ち帰った録音データを、伊吹と堀田は警察庁の音声鑑定室で再生した。

部屋に流れたのは、ノイズ混じりの少女の声。 「……ま……も……って……」

K1が補正アルゴリズムを稼働させると、音声が徐々に明瞭になっていった。

「わたしが……まもる、まちを……」

その声に、堀田が小さく唸る。 「この声……初期に聞いた“ありがとう”の子と同じじゃないか?」

伊吹が頷く。 「うん。彼女は町を“守りたかった”んだ」

K1が別ファイルを開示する。 《録音データ“23_未発信.wav”。AI復元結果:87%の確度で同一人物》

声の主は──火災当時に“最後に祠を訪れた”少女、榊みなと。

彼女が残した音声は、事件の真相へと続く手がかりを含んでいた。

「祠で見つけた映像……、最後に“お願い”と言ってた。あれも彼女だ」 と伊吹。

堀田が音声を手帳に記しながら言う。 「彼女の“声”が記録をつないでくれた。まるで、未来に託してるみたいに」

K1が静かに付け加える。 《音声データは、事件直後ではなく“1週間後”に録音されていた。つまり、彼女は火災の後もしばらく……》

伊吹が遮る。 「それ以上はいい。想像の余地を残しておこう」

堀田が頷き、静かに言った。 「彼女が“最後まで残した声”が、俺たちに真実を教えてる」

鑑定室を出ると、風が吹いていた。 ビルの谷間に差し込む陽光のように、やさしく、静かに。

伊吹が呟く。 「声って……届くんだな。時を越えても」

K1が応えた。 《それは“記録”が持つ、もっとも強い力です》

第10章「祠の証明」

祠の奥、苔むした石の奥にあった小さな木箱。 K1が慎重に開けると、中から古びたカセットテープと1枚の書き置きが現れた。

「“これは記録係から次の記録係への引き継ぎです”……だって」 伊吹が読み上げる。

堀田が眉をひそめる。 「つまり……誰かが、自発的に“記録を守る仕事”をしてたってことか」

テープの再生装置にかけると、笹川航平の声が流れ出した。

『この町は、消えることを恐れていた。だから、記録を残すように言われた』 『でも俺は思った。記録は、過去を残すためだけじゃない。未来を変える可能性になるって』

音声の最後に、こう結ばれていた。

『もし、これを聴く人がいるなら、あなたに託したい。町の声を、未来に届けてほしい』

K1がそっと呟いた。 《記録係とは、“記憶の継承者”でもあったのですね》

伊吹がテープを止め、祠の奥を見つめた。 「これは……物語じゃない。誰かの本気の人生だ」

堀田がうなずいた。 「そして、俺たちもその一部になった」

K1が端末に記録を保存しながら告げる。 《町の記録は再構築され、公共アーカイブに申請されました。これで、誰でもアクセス可能になります》

伊吹はそっと微笑んだ。 「町は消えてない。ちゃんと、ここに生きてる」

その瞬間、祠の中に差し込む光が、3人の影をひとつに重ねた。

──終わりではなく、次の記録が始まる合図のように。


(完)

あとがき

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「死者を描かない刑事もの」は一見矛盾するようでいて、実はより人間の内面を深く掘り下げる試みでもありました。

AIが真実を照らすとき、そこには“人の感情”がかならず関わっています。
今回も、K1と堀田、そして記者の伊吹遥が、それぞれの立場で記録に向き合いました。
この作品が、記録や記憶の尊さ、そして未来への橋渡しの意味を、少しでも読者の皆様に届けられたなら幸いです。

また次の“交差点”で、お会いしましょう。

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